「ファルージャ」の版間の差分

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[[2003年]]4月28日から、学校に米軍が駐留していることへの抗議デモが起こったが、これに対し米軍が発砲。多数の死傷者が出た。これを米軍側は武装したイラク人からの自衛だとしているが、市民側は投石をしていただけだという。
 
[[2004年]]3月31日、ファルージャでアメリカ軍の下請けを行う民間警備会社の社員であるアメリカ市民の民間人4人が現地武装勢力に殺害され、遺体が市民によって損傷される事件が起こると、その残虐な映像が世界中に配信された(殺された彼等は実際は民間人とはいえ、[[民間軍事会社]]BLACK WATER社武装社員であり、イラク市民の視点からはアメリカ兵と同一視されている)。
余談になるがその被害者の家族達は危険な地域に行かせるのに装備が不十分だったとBLACK WATR社を告訴した経緯がある。
 
4月、アメリカ軍はその報復としてファルージャの包囲掃討作戦を実行し、武装勢力が潜んでいたとしてモスクを空爆するなどの大規模な攻撃と、都市の封鎖により多くのファルージャ市民が巻き添えになったとみられる。市内の惨状が[[マスメディア]]によって報じられると、世界で反米の機運が高まり、三日で作戦中止に追い込まれた。11日から13日の一時停戦までに住民・武装勢力の死者は600人を超え、アメリカ軍にも大きな被害が出た。