「イジャスラフ3世」の版間の差分

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'''イジャスラフ3世'''('''Изяслав iIIIII ДавыдовичДавидович''', ? - [[1162年]])は[[キエフ大公国|キエフ大公]](在位:[[1154年]] - [[1155年]]。キエフ大公[[スヴャトスラフ2世]]の孫で、ダヴィドの四男にあたる。母はフェオドシア某。キエフ大公[[フセヴォロド2世]]の従兄弟。
 
モノマフ一門とチェルニゴフ一門との大公位争いのまっただ中で1154年に[[イジャスラフ2世]]が死去する。彼を継いだ[[ロスチスラフ1世]]をイジャスラフ(3世)はキエフ大公として認めなかった。ロスチスラフがイジャスラフにその承認を求めにチェルニゴフに来た際にもイジャスラフはこれを拒絶した。その結果、両者は軍事衝突にいたり、イジャスラフがロスチスラフを打ち破る。キエフ市民はイジャスラフを公として迎え入れる。