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==生涯==
享保13年(1728年)、麻田にて生まれる。[[宝暦]]4年([[1754年]])8月25日、先代藩主見典の若死により、末期養子として家督を相続した。同年11月1日将軍[[徳川家重]]に御目見する。同年12月18日従五位下美濃守に叙任する。[[明和]]7年([[1770年]])7月26日、隠居し、養子一貫に家督を譲った。天明元年(1781年)5月20日、54歳で死去。墓所は東京都港区白金台の瑞聖寺。法名は善応院殿心珠衍明大居士
 
家庭的に不幸な人物で、五男一女(二女とも)という子女に恵まれながら、長男の[[青木一在]]をはじめとする子供たちに早世されてしまった。当初、[[弘前藩]]主[[津軽信寧]]の弟好古を養子に迎えようとしたものの失敗した。次いで、[[宇和島藩]]主[[伊達村年]]と交渉し、三男村銘(後の[[青木一貫]])を養子として迎えることになった。