「イオアニス・カポディストリアス」の版間の差分
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国家の権威を高めるため、彼は伝統的な地方の貴族・有力者の力を弱代化させる政策をとった。しかし彼は、トルコとの独立戦争に参加した指導者達の勢力を見誤った。[[ラコニア]]地方でそれらの指導者と新たに任命された知事との間に争いが生じた際、彼はロシアに軍隊の派遣を要請している。ギリシャ軍の多くは未だ独立戦争指導者たちの影響下にあった。1831年彼はマニ半島の有力者ペトロス・マヴロミハルスを反乱の疑いで投獄した。これに反発したマヴロミハルス家の一族二人により、カポディストリアスは1831年10月9日ナフプリオの聖スピリドナス教会で暗殺された。後任の首相には彼の弟であるアウグスティノス・カポディストリアスが就任したが、数ヶ月後、列強諸国によりギリシャには王制が導入され[[バイエルン
カポディストリアは現在のギリシャでも大きな尊敬を集めている。旧[[ドラクマ]]紙幣、現在の20レプタ(ユーロセント)硬貨には彼の肖像が掲げられ、1990年後半の地方制度改革には彼の名が用いられた。
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