「アンリ・レオナール・ジャン・バティスト・ベルタン」の版間の差分

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[[1749年]]([[1750年]]?)[[ルシヨン]]([[w:Roussillon|Roussillon]])及び、[[1754年]][[リヨン]]地方総監(アンタンダン、[[w:Intendant|Intendant]])を歴任する。[[1757年]][[パリ警視総監]]Lieutenant général de policeに任命される。
 
[[1759年]][[財政総監]]([[蔵相]]、[[財務相]]に相当する)に就任する。1762年(1763年?)最高国務会議の成員である国務卿([[大臣]])となる。ベルタンは国王[[ルイ15世]]とその寵姫である[[ポンパドゥール夫人]]の信任厚く、財政総監辞任後も国務卿としてその地位を維持し、[[1774年]]には短期間ではあるが、外務担当国務卿([[外務大臣]])も務めた。
 
{{先代次代|[[フランス経済・財政・産業省|フランス財政総監]]|[[1759年]] - [[1763年]]|[[エチエンヌ・ド・シルエット]]|[[クレマン・シャルル・フランソワ・ド・ラ・ヴェルディ]]}}