「クニグンデ・フォン・エスターライヒ」の版間の差分

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'''クニグンデ・フォン・エスターライヒ'''(Kunigunde von Österreich, [[1465年]][[3月16日]] - [[1520年]][[8月6日]])は、[[バイエルン大公|バイエルン公]][[アルブレヒト4世 (バイエルン公)|アルブレヒト4世]]の妃。
 
[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ53世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ53世]]と皇后[[エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル|エレオノーレ]]の娘として、[[ウィーナー・ノイシュタット]]で生まれた。夫婦の間の5人の子供うち成人したのは、兄[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]とクニグンデだけであった。
 
1470年、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[マーチャーシュ・コルヴィヌス|マーチャーシュ]]に求婚されたが、父フリードリヒはこれを拒絶した。クニグンデは父の意に反してバイエルン公アルブレヒトと結婚した。夫の死後、長男[[ヴィルヘルム4世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム4世]]の摂政となった。宮廷から辞してのちも、息子たちのために政治に介入しようとした。また、兄マクシミリアンや、他国にいる縁者と密接に連絡をとっていた。