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'''高橋 貞樹'''(たかはし さだき、[[1905年]][[3月8日]] - [[1935年]][[11月2日]])は[[大分県]]出身の[[全国水平社|水平運動家]]、[[共産主義者]]。
 
==経歴==
[[大分県]][[速見郡]]御越町(現在の[[別府市]])に生まれる。父は[[被差別部落]]出身だったが、[[士族]]の株を買って出自を隠蔽し、大分県庁に勤務していた。貞樹自身は被差別部落の外に生まれ育つ。
 
旧制大分中学校(現在の[[大分県立大分上野丘高等学校]])3年生の時、校友会雑誌に論文「[[ハインリヒ・フォン・トライチュケ|トライチュケ]]の国家観について」を発表。1級上に在籍していた後藤寿夫([[林房雄]])に感銘を与える。