「ピア・アンジェリ」の版間の差分

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m (avoid red.:カトリック教会、全角括弧)
16歳のときにイタリア映画でデビュー。とくに1950年の「明日では遅すぎる」(主演)ではイタリア映画のネオ・レアリスモ運動の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出([[MGM]]と契約)のきっかけとなる。MGMでは[[ポール・ニューマン]]の「[[傷だらけの栄光]]」(当初はジェームズ・ディーン主演の予定だった)でヒロインを演じるなど清純派女優として[[ハリウッド]]で活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。
 
「[[エデンの東]]」を撮影中だった[[ジェームズ・ディーン]]と恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]だったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって別れたことは有名。
 
その後、歌手兼俳優の[[ビック・ダモン]]と結婚したが離婚。その後は米国映画の作風の変化(暴力・性的表現の過激化など)についていけなくなったことから歌手としてアルバムなど作品リリースを行なうなどするも人気・仕事では低迷・不遇が続いていたといわれる。