「古今亭志ん生」の版間の差分

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'''古今亭志ん生'''('''ここんてい しんしょう''')は、噺家。五代目が高名である。
 
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四代目'''古今亭志ん生'''('''ここんてい しんしょう'''、[[1877年]][[4月4日]] - [[1926年]][[1月29日]])は、[[落語家]]である。本名、'''鶴本 勝太郎'''('''つるもと かつたろう''')。
 
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五代目'''古今亭志ん生'''('''ここんてい しんしょう'''、[[1890年]][[6月28日]] - [[1973年]][[9月21日]])は、[[落語家]]である。本名、'''美濃部 孝蔵'''('''みのべ こうぞう''')。息子に[[古今亭志ん朝]]、[[金原亭馬生]](共に故人)がいる。東京・[[神田]]の生まれ。三遊亭圓盛に入門後、二つ目に昇進。後の4代目古今亭志ん生に移籍後、真打に昇進。1939年に五代目古今亭志ん生を襲名する。終戦直後あたりから勢いを増し、寄席はもちろんのこと、ラジオでの出演なども多くこなした。その軽快でじっくり聞かせる正統派の江戸前の落語は「名人」の名にふさわしい。
 
幾たびの師匠替え・改名もしていることで有名で、長いこと貧乏生活を送ってきたことによる借金逃れと酒による放蕩ぶりがたたったものとも言われているが、名人と呼ばれるようになってきたのは、50歳を過ぎているころのこともあり、それも影響しているかもしれない。