「ソマリ社会主義革命党」の版間の差分

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'''ソマリ社会主義革命党'''は、[[ソマリア]]の旧[[政党]]名。[[モハメド・シアド・バーレ|バーレ]]政権下の独裁政党だった。ソマリアの[[社会主義]]化と[[ソビエト連邦|ソ連]]との連帯をうったえ、ソマリアを東側陣営に引き込む要因となった。英語名は''Somali Revolutionary Socialist Party''。[[1976年]]創設、[[1991年]]解体
 
[[1969年]]のクーデターで実権を握り大統領に就任したバーレが、1976年ソ連の国家体制を模倣して創設した政党で、
[[1979年]][[8月30日]]、バーレ大統領によりソマリアが「ソマリア民主共和国」とされ[[社会主義国]]となると、新[[憲法]]ではソマリ社会主義革命党を唯一の合法政党とし、他の政党及び政治組織の結成の禁止、同党の国家に対する優位性などがうたわれた。また[[ソビエト連邦共産党]]、[[ドイツ社会主義統一党]]など、他国の社会主義・[[共産主義]]政党と友党関係を結び、直接的・間接的支援を受けた。
 
しかし実際は、バーレ大統領が自身の権力を正当化し、「個人独裁」「国家の私物化」という内外の批判をかわすために創設した個人政党とされ、国家の指導政党としての機能はあまり果たしていなかった。そのため[[1991年]]に反政府勢力'''統一ソマリア会議'''([[USC]])に攻勢に出られると、党は瞬く間に瓦解した。
 
1991年に一党独裁政権が崩壊し、バーレが国外へ亡命すると、旧ソマリ社会主義革命党幹部らがバーレ元大統領の復権と社会主義の再興を掲げる'''ソマリ国民戦線'''('''SNF''')、いわゆる'''バーレ派'''として活動を開始したが、強力な指導力を誇るアイディード派などに比べ勢力は弱体で、まもなく形骸化。数年後には自然消滅した。