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[[370年]]、[[前燕]]が[[前秦]]により滅ぼされると、慕容泓を始めとする多くの鮮卑慕容部族は関中へと移住した。
[[383年]]、前秦
慕容泓は燕王あるいは燕帝を自称していないが、独自の元号を立て自立しており、実質的な西燕の建国者とされている。
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[[370年]]、[[前燕]]が[[前秦]]により滅ぼされると、慕容泓を始めとする多くの鮮卑慕容部族は関中へと移住した。
[[383年]]、前秦
慕容泓は燕王あるいは燕帝を自称していないが、独自の元号を立て自立しており、実質的な西燕の建国者とされている。
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