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Seno (会話 | 投稿記録)
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1944年6月11日にホーネットは[[テニアン]]と[[サイパン]]への攻撃を行う。翌12日には[[グアム]]および[[ロタ島]]への爆撃を行った。6月15、16日にはサイパン攻略支援のため[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]及び[[父島]]の日本軍基地への攻撃を行った。1944年6月18日の午後、日本の第一機動部隊を迎え撃つための高速空母機動部隊に加わり、フィリピン海を通りサイパンへ向かう。[[マリアナ沖海戦]]は翌6月19日に始まり、ホーネットの艦載機は日本の空母艦載機が到来する前に地上基地の航空機をできる限り破壊するための攻撃を行った。
 
日本軍は四波に分かれてアメリカ軍空母に接近したが、そのパイロットは若く経験不足であった。対するアメリカ空母艦載機のパイロットはベテランが揃い、その違いが両者の優劣を決した。日本機はほとんどが撃墜され、後に「マリアナの射的遊び七面鳥撃ち ''The Marianas Turkey Shoot.''」と語られた。日本の第一機動部隊は空母[[飛鷹 (空母)|飛鷹]]を失い、二隻の油槽船を破壊された。[[小沢治三郎|小沢]]中将の1944年6月20日の戦闘日誌では、430機の航空兵力の内35機のみが運用可能であったとされる。
 
ホーネットは[[マーシャル諸島]]の[[エニウェトク環礁]]を起点に[[グアム]]から[[小笠原諸島]]までの日本軍に対する攻撃を行い、次に[[パラオ]]、フィリピン海域、[[沖縄]]および[[台湾]]への攻撃を行った。ホーネットの艦載機は1944年10月20日のレイテ島攻略戦で直接の支援を行った。[[レイテ沖海戦]]においてホーネットはサマール沖で日本軍への攻撃を行い、敵艦隊に[[シブヤン海]]経由で[[ボルネオ]]への撤退を行わせた。