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大学2年生で出場した[[アテネオリンピック (2004年)]]では、200m背泳ぎで8位入賞を果たす(このとき銅メダルを取ったのが[[中村礼子]])。しかし、その後は激しいライバルとの戦いの中で敗れ去る状態が続いている。事態打開のため米国でトレーニングをするなど努力を続けているが、2006年シーズン(2007年3月の世界水泳終了まで)は、ついに日本代表から漏れた。この悔しさをばねに、[[北京オリンピック]]出場を目指す。
 
今後は陸上競技の[[室伏広治]]らと同様、ミズノの社員選手として競技を続けることになるが、ミズノは5月に[[SPEEDO]]水着事業から撤退するたし、翌6月から自社ブランドの水着事業展開を始たが伊藤寺川はほかの「社員スイマー」とともに「'''ミズノスイムチーム'''」の結成に参加。今後はこの名義で大会に参加するとともに、社員として自社水着の宣伝活動を行っている寺川の対応が注目されている
*なお、[[北島康介]]もミズノと提携する道を選んだ。
 
== 戦績 ==