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太田氏房が岩槻城主となるのに伴い岩槻城付家老となる。
 
[[天正]]17年([[1589年]])、華林山[[慈恩寺]]に「南蛮鉄灯篭」([[埼玉県]][[さいたま市]] 市指定[[文化財]])を寄進。
 
天正18年([[1590年]])、[[豊臣秀吉]]による[[小田原征伐]]に際して、岩槻城主太田氏房が[[小田原城]]に篭った為、房実は2千人の兵と共に岩槻城に篭城した。1千人余の死傷者を出しながら奮闘したが2万人の豊臣軍に攻められ落城降伏した。
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同年、[[徳川氏]]に召し抱えられ江戸三番町角屋敷を与えられた。
 
天正19年([[1591年]])、[[武蔵国]][[足立郡]]250石を与えられ旧領である大和田村を知行した。その頃に伊達城は破却され大和田[[陣屋]]を構えた。
 
後に[[常陸国]][[鹿島郡]]200石を加増され450石となった。