「エカテリーナ・パヴロヴナ」の版間の差分

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'''エカテリーナ・パヴロヴナ'''(Екатерина Павловна / Ekaterina Pavlovna, [[1788年]][[5月10日]] - [[1819年]][[1月9日]])は、[[ヴュルテンベルク王国|ヴュルテンベルク王]][[ヴィルヘルム1世 (ヴュルテンベルク王)|ヴィルヘルム1世]]の王妃。[[ドイツ語]]名ではカタリーナ・フォン・ヴュルテンベルク(Katharina von Württemberg)と呼ばれた。
 
[[ロシア帝国|ロシア]]皇帝[[パーヴェル1世]]と皇后[[マリア・フョードロヴナ (パーヴェル1世皇后)|マリア・フョードロヴナ]]の四女として、[[ツァールスコエ・セロー]]で生まれた。兄に[[アレクサンドル1世]]、[[コンスタンチン大公]]、妹に[[オランダ]]王妃[[アンナ・パヴロヴナ]]、弟に[[ニコライ1世]]がいる。
 
[[1809年]]8月、従兄弟にあたるオルデンブルク公子ゲオルク(オルデンブルク公ペーター・フリードリヒ・ルートヴィヒと母方の叔母フリーデリケ・フォン・ヴュルテンベルクの子)と結婚。アレクサンダー(1810-1829) 1829年)、コンスタンティン(1812-1881) 1881年)の2男を生むが、3年後にゲオルクは[[チフス]]で急逝した。
 
[[1816年]]、母方の従兄ヴィルヘルムと[[サンクトペテルブルク]]で結婚。2女をもうけた。
*マリー・フリーデリケ・シャルロッテ(1816年 - 1887年) アルフレート・フォン・ナイペルクと結婚。
*[[ゾフィー・フォン・ヴュルテンベルク|ゾフィー・フリーデリケ・マティルデ]](1818年 - 1877年) [[オランダ]]王[[ヴィレム3世 (オランダ王)|ヴィレム3世]]妃