「養子的キリスト論」の版間の差分

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*初期に養子論を唱えた1人はTheodotus of Byzantium(ビザンティウムのテオドトス?)。[[ヴィクトル1世 (ローマ教皇)]](在位 189年- 199年)によって異端と宣言された。--->
 
*8世紀の養子論論争
*8世紀の養子論論争<!---([[キリスト教年表]]には780年とある。下記のアルクィンのこと?)(か)([[アルクィン]]より)--->
:8世紀、北スペインで養子的キリスト論(養子論)が勢力を持ち、トレド大司教のエリバントゥスとウルヘル(Urgel)の司教フェリックスが、イエスは人間で、神の養子になったという説を唱えていた。イスラム教神学者から三位一体説を厳しく批判されたことが背景にあったようである。794年のフランクフルト教会会議では、[[アルクィン]]が主張する正統教義に敗れた。
:[[アルクィン]]はフェリックスに対して書いた。「ネストリウスの不信仰がキリストを2つの性質で2つに分割したように、あなたの無教育で無謀な説もキリストを2つに分割しました。1、人間の子として、2、神の養子として」
 
*12世紀の神学者[[アベラール]]は独自のが唱えた三位一体説を唱え、[[単性論]]、新養子論とされて(?)異端を宣言された。しかし、実際のアベラールの思想からは曲解されており、三位一体を理性的に解釈しようとしたこと自体が非難されたものであるだという
<!---*12世紀、[[アベラール]]の唱えた説(「新養子論」)。その後14世紀からの何人かの神学者の説。 --->
<!----コメントアウトした部分は養子論(Adoptionism)英語版より---->