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[[1976年]]の[[モントリオールオリンピック]]・スクラッチ(現[[スプリント]])種目において、オリンピック大会史上、自転車競技で日本人選手として初めて6位入賞を果たす。
 
[[19781977年]]、[[日本競輪学校]]第41期に合格するも、年後に開催される[[モスクワオリンピック]]への夢が断ち切れず、競輪学校入学を辞退。このことは、当時競輪学校の受験資格年齢条件が24歳未満であったことから、このモスクワオリンピック後における競輪選手への道は閉ざされたことを意味した。
 
[[1979年]]、長は[[プレオリンピック]]大会のスクラッチで3位に入り、俄然、翌年に開催されるモスクワオリンピックのメダル候補に上がる。