「ジェルメーヌ・ド・フォワ」の版間の差分

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フェルナンド2世が1516年に亡くなると、王位に就いたのは孫[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス1世]](のち神聖ローマ皇帝カール5世となる)だった。彼は、まだ若い義理の祖母ジェルメーヌを、ヨハン・フォン・ブランデンブルク([[ブランデンブルク選帝侯]][[ヨアヒム1世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム1世]]の従弟)と結婚させることにし、2人は[[バルセロナ]]で式を挙げた。1523年、2人はカールにより[[バレンシア州|バレンシア]]総督とされた。
 
1526年にジェルメーヌはヨハンと死別したため、今度は[[カラブリア]]公フェルディナンド([[ナポリ王国|ナポリ]]王[[フェデリーコ41世 (ナポリ王)|フェデリーコ41世]]の息子)と再々婚した。2人は引き続きバレンシア総督を務め、芸術と音楽の後援者となった。1538年にジェルメーヌは亡くなり、そののちもカラブリア公は1550年に亡くなるまで総督を務めた。
 
[[Category:アラゴンの王妃|しえるめぬ ふおわ]]