'''エリク14世'''(''Erik XIV''、, [[1533年]][[12月13日]] - [[1577年]][[2月26日]])は[[スウェーデン]]・[[ヴァーサ朝]]の第4代国王(在位:[[1560年]] - [[1568年]])。[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]と王妃カタリーナの子。[[スウェーデン=フィンランド]]の[[国家元首]]君主であるが、[[フィンランド]]の統治者は、弟のヨハン(後の[[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]])であった。
[[1558年]]に始まった[[リヴォニア戦争]]に参戦し、[[1561年]]に[[エストニア]]を解放する。彼は政治的野心と同様に、知性と芸術性を有していた。しかし、彼の治世、精神的不安定の兆しと狂気に導かれた状況となった。
エリクの[[外交]]政策のほとんどは、スウェーデンを[[大国]]にするための尽力が基本であった。独立国家を統治したことで満足した、父王と違い、エリクは[[バルト海]]地域とエストニアでの影響力の拡大に挑戦しようとした。この拡大によって、従弟で[[デンマーク]]王の[[フレゼリク2世 (デンマーク王)|フレデリク2世]]と衝突することになった。有効な政治同盟を求めて[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]や[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・ステュアート]]などに求婚したが、結婚は実現しなかった。
内政においては、エリクの野心は、彼の弟たち(後の[[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]]、[[カール9世 (スウェーデン王)|カール9世]])を含むスウェーデン貴族に猛烈に反対された。ヨハンは謀反を起こしたが、[[1563年]]に捕らえられ大逆罪に問われた。エリク14世の治世の殆ほとんどが、デンマークとの[[北方七年戦争]]で占められ、その間彼はデンマークからの征服の試みを阻んだが、自らの征服事業も維持できなかった。
この年代のあいだ、彼の狂気は悪化した。すなわち、彼の治世はいっそう暴力による支配が特徴となり、それらの中には[[1566年]]のストゥーレ家の一族の殺害も含まれていた。[[1568年]]、彼は権力を掌握したヨハンによって廃され、幽閉された。エリクのもっとも信頼のおけるカウンセラーJöran、ヨラン・ペッション(Jöran PerssonPersson)は、エリク14世の治世に彼が貴族に対してとった行動の責任をとり、ヨハン3世即位後、まもなく[[処刑]]された。
エリク14世は獄死した。言い伝えによれば、彼の最後の食事は毒の入った豆のスープであったという。彼の兄弟ヨハン3世とスウェーデン貴族<!--Bengt Bengtsson Gylta-->ベングト・ベングトソン・ギュルタによって記された文書には、誰かがエリクを逃がせば、毒殺の許可を受けた獄吏が殺すことになっていたという。彼の遺体は後に発掘され、法医学的分析で[[ヒ素]]による毒殺の証拠が明らかになった。
== 子女 ==
エリク14世は結婚前に関係のある女性があり、<!--Agda Persdotter-->アグタ・ペルスドッテルとの間に3人の娘があった。 ▼
[[画像:Erik XIV och Karin Månsdotter.jpg|thumb|320px|[[カリン・モンスドッター|カリン・モンスドッテル]]、エリク14世とヨラン・ペッション(ゲオルク・フォン・ローゼン作、1871年)]]
#Virginia Eriksdotter ([[1559年]]〜[[1633年]])
#Constantia Eriksdotter ([[1560年]]〜[[1649年]])
#Lucretia Eriksdotter ([[1564年]]〜[[1574年]]) 若死
▲エリク14世は結婚前に関係のある女性があり、<!--Agda Persdotter-->アグ タダ・ペルスドッテルとの間に3人の娘があった。
Karin Jacobsdotterの間には1人(未婚、1565年生まれ)の子供があった。
#ヴィルギニア(Virginia, [[1559年]] - [[1633年]])
#コンスタンティア(Constantia, [[1560年]] - [[1649年]])
#ルクレティア(Lucretia, [[1564年]] - [[1574年]]) 早世
エリク14世は最終的に、[[1568年]][[7月4日]]に[[カリン・モンヤコプスドッター]](Karin Månsdotter)([[1550年]]-[[1612年]])テルとの間に結は1人(未婚し、4人1565年生まれ)の子供をもうけがあった。
#ジーグリード(Sigrid) ([[1566年]]〜[[1633年]]) ▼
#グスタフ(Gustaf) ([[1568年]]〜[[1607年]]) ▼
#ヘンリック(Henrik) ([[1570年]]〜[[1574年]]) ▼
#アーノルド(Arnold) ([[1572年]]〜[[1573年]]) ▼
最終的にエリク14世は、[[カリン・モンスドッター|カリン・モンスドッテル]]と[[1568年]][[7月4日]]に結婚し、4人の子供をもうけた。
[[Image:Erik XIV och Karin Månsdotter.jpg|thumb|left|350px|[[Karin Månsdotter]], Eric XIV and [[Jöran Persson]], painting from [[1871]]]]
▲# ジーシグリ ード (Sigrid)(Sigrid, ([[1566年]] 〜 - [[1633年]] ) )
▲#グスタフ (Gustaf)(Gustaf, ([[1568年]] 〜 - [[1607年]] ) )
==See also==
▲#ヘンリ ック (Henrik)(Henrik, ([[1570年]] 〜 - [[1574年]] ))
*[[スウェーデンの歴史]]
▲#アーノルド (Arnold)(Arnold, ([[1572年]] 〜 - [[1573年]] ))
{{先代次代|[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン国王]]|1560 - 1568|[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]|[[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]]}}
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