「東海寺 (品川区)」の版間の差分

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* [[寛永]]14年([[1637年]]) [[徳川家光]]が[[沢庵宗彭]]を招聘して創建
* 沢庵漬けの由来 家光が東海寺に来た折、旨い食べ物を所望。そこで沢庵は「大根の黄色い漬物」を呈じました。品名を問うので沢庵は、「長期保存ができるので、貯え漬けと申します」と答えると、家光は、「なに、貯え漬けと・・・、こんなに旨いものを初めて食した。以後禅師の名前を採って、沢庵漬けと呼べ」と言われたと伝えられます。
  これが製品名に個人の名前が付いた嚆矢です。現代でも工場勤務者がロボットに「エビちゃん」など  と名前を付けて、大事にしているのも、こんなエピソードが社会に流布したお蔭かも知れません。
* [[明治]]6年 寺領が新政府に接収され、衰退。特に徳川家の庇護を受けていた上野寛永寺、芝増上寺、品川東海寺は敷地のほとんどを失いました。なお寛永寺の敷地は現在上野公園となっています。
* [[塔頭]]の玄性院が寺号を継承。多くの塔頭は廃絶されましたが、清光院は目黒川を挟んで南側にあります。高源院は世田谷区烏山に移転。元々遠隔地にあった普門庵は現在も稲城市大丸にあります。