「グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ」の版間の差分

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グイドバルドは、1497年に[[チェーザレ・ボルジア]]軍に攻められてウルビーノから逃れた。6年後、チェーザレの父[[ローマ教皇]][[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]が崩御すると、ウルビーノへ舞い戻った。子供のないグイドバルドは、姉ジョヴァンナの子で教皇[[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]の甥にあたるフランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレを養子にした。
 
ウルビーノの宮廷は、当時イタリアで最も洗練された華やかな宮廷の一つといわれていた。宮廷の様子を記した[[バルダッサーレ・カスティリーネ]]や、[[ポリドレ・ヴェルギル]]らがグイドバルド夫妻のもとで働いた。
 
グイドバルドは[[フォッソンブローネ]][[ペラグラ]]のため、36歳で若死にし、あとをフランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレが継いだ。
 
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