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[[1958年]]に大学を卒業し日本テレビに入社(実際には大学在学中から日テレでバイトしており、そのまま居ついた格好になったという)。以後音楽・バラエティ番組を中心にディレクターとして数多くの番組を手がけたほか、『[[カリキュラマシーン]]』では番組のカリキュラムの説明などを行う「'''ギニョさん'''」としてテレビ出演も果たしている。ちなみに「ギニョさん」とは元々齋藤の通称で、由来はまだ齋藤が若手の頃にフロアマネージャーとして働いている様子を見た[[藤村有弘]]が「まるで[[ギニョール人形]]みたいだ」と言ったことから名づけられたという。
 
[[萩本欽一]]が「テレビ業界で信頼の置けるディレクター」は齋藤と[[常田久仁子]]([[フジテレビ]]→[[千代田企画]])の二人だけであると語るなど、タレントからの信頼は非常に厚い。また学生時代から趣味として[[ジャズ]]を嗜むことから(一時は音楽家を目指したものの、父親の強い反対から断念したとのこと)、同じ[[成蹊高等学]]の先輩である[[すぎやまこういち]]とは高校時代からの古い友人である。
 
==主な担当番組==