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1858年に''南部鉄道会社(Südbahn Gesellschaft)''に売却され、マリボルからクラーゲンフルト、フィラッハ、[[リエンツ]]を経由してフランツェンスフェストまで行く路線と共に会社を構成した。
 
この南部鉄道会社によって、トリエステは貿易量を何倍にも増やすことになった。つまりそれはオーストリア・ハンガリー帝国の国際海洋貿易を向上させ、トリエステは南部中欧で最も巨大な主要港湾としての地位を確立させ、ウィーンに次ぐ4番目の大都市として名を馳せた。
 
また、鉄道はブダペスト、プラハと共にアドリア海沿岸を観光地として発展させるのに重要な影響を与え、トリエステを「[[オーストリアのリヴィエラ]]」の中心地にさせた。
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