「茶谷薫重」の版間の差分

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== コパルスクエア ==
このシャッターの量産化を担当した[[日本電産コパル|コパル]]は、基本設計はそのままに、OEM供給しやすくユニット化し、[[1960年]]に'''コパルスクエア'''(当初はコパルスケヤ)と命名してカメラメーカーに供給。[[ニコン]]、[[マミヤ・オーピー|マミヤ]]、[[コニカミノルタ|コニカ]]、[[キヤノン]]などの[[一眼レフカメラ]]に採用され、性能・耐久性に優れたシャッターとして高い評価を得た。
 
その後、茶谷とコパルの関係は悪化、茶谷は事前に特許を取得しており、コパルから継続的にライセンス料も受け取っていた。ところが、コパルが独自に実用新案を取得、ライセンス料の支払いも拒んできたため、訴訟に発展した。この訴訟は10年間に及び、訴訟費用を捻出できなかった茶谷は訴訟継続を諦めた。
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コパルスクエアの発表時に多くの採用があったにも係わらず、その後、採用が中断してしまった理由のひとつに、この訴訟があったと思われる。
 
しかし、[[1982年]](昭和57年)登場したニコン FM2は、ニコンとコパルの共同開発によるシャッターを採用しており、世界初の1/4000秒と同調速度1/200秒を実現していた。もちろん、縦走りで金属幕を採用しており、茶谷の着眼点、基本設計の優秀さを表しているともいえた。
 
== 参考文献 ==