「クタイ王国」の版間の差分

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[[画像:kutai_Prasasti_of_Mulawarman.JPG|frame|right|クタイ王国、ムーラヴァルマン王の石碑]]
 
そうしたサンスクリット語の使用は、[[インド]]の影響が強く[[パラヴァ朝]]の影響ではないかと言われてきたが、クタイとジャワの[[タルマヌガラ王国]]の碑文は、碑文に用いられた[[ブラフミー文字]]が縦線の書き始めに box head と呼ばれる四角い穴ができるという特徴を持ち、[[デカン高原]]の[[カダンバ朝]]で用いられた書体であることが最近の研究で判明している。クタイ王国の年代はこの碑文の字体から4世紀末~5世紀初め頃であることが確定している。
 
クタイの繁栄は、当時の商業上の交易ルートが[[マカッサル海峡]]を通っていたことを示唆し、インドからの船はクタイに寄港し、[[フィリピン]]を通過したのち[[中国]]へ向かっていたと考えられる。