「共犯」の版間の差分

 
==共犯の従属性==
実行従属性、要素従属性、罪名従属性の3つに分けて考えられている。
狭義の共犯は正犯との関係において独立しているのか([[共犯独立性説]])、従属しているのか(共犯従属性説)ということが、かつては近代派=主観的共犯論と古典派=客観的共犯論との対立として争われていた。しかし、やがて従属性の多義性が指摘されるようになり、古典派内部でも新たな見直しが迫られた。従属性の有無と程度という分析を経て,近年は、実行従属性、要素従属性、罪名従属性の3つに分けて考えられるようになっている。
 
例:Aは借金で首が回らなくなっていた友人のBに対して、「借金取りなど殺してしまえ」と執拗に勧めた。しかしBは「馬鹿なことを言うな」といって全く取り合わなかった。
 
もしもBが実際に借金取りを殺した場合、Aは殺人罪の教唆犯として処罰される。この例ではAが殺人を唆しているが、Bは殺人の実行に着手すらしていないため、Aには何らの犯罪も成立しない。このような見解を'''共犯従属性説'''(反対の見解が[[共犯独立性説]])といい、現在の学説と実務の支配的な立場である。
この例で、もしもBが殺人の実行に着手していたとすれば、Aには殺人罪の教唆犯か、少なくとも殺人未遂罪の教唆犯(教唆の未遂)として処罰される。教唆者であるAが殺人をそそのかしているが、Bは殺人の実行に着手すらしていない。しかし、正犯者が少なくとも犯罪の実行に着手しなければ教唆者や幇助者は罰せられない。例えばAがBに殺人をそそのかしたがBは全く取り合わなかったという場合、Bが殺人の実行に着手してすらいないのであるから、Aが殺人の教唆犯や教唆の未遂として処罰されることはない。このような見解を'''共犯従属性説'''といい、判決例や学会の通説が採る立場である。この「正犯者が犯罪の実行に着手しなければ共犯は成立しない」という考え方は'''実行従属性'''の原則といわれる。かつては正犯者が犯罪の実行に着手せずとも、教唆者や幇助者は教唆行為や幇助行為をしただけで教唆の未遂または幇助の未遂として罰せられると考える'''共犯独立性説'''という見解も有力であったが、支持を失った。ただし、これは一般法としての刑法で認められた原則であって、[[特別刑法]]において教唆行為それ自体を犯罪として処罰することはできる。例としては[[破壊活動防止法]]38条以下にある内乱の教唆などがあるが、このように教唆された者の行動に関わらず罰せられる教唆犯を独立教唆犯という。
 
この「正犯者が犯罪の実行に着手しなければ共犯は成立しない」という考え方は'''実行従属性'''の原則といわれる(ただし、これは一般法としての刑法で認められた原則であって、[[特別刑法]]において教唆行為それ自体を犯罪として処罰することはできる。例としては[[破壊活動防止法]]38条以下にある内乱の教唆などがあるが、このように教唆行為自体が罰せられるものを独立教唆犯という)。
以上の実行従属性を巡る問題の他に、共犯の従属性に関してはもう一つ、要素従属性という問題がある。これは、共犯が成立するためには概念上の正犯がどこまで犯罪要素を備えていなければならないか、という議論である。つまり、ある行為が犯罪として処罰されるのは、その行為が構成要件に該当し、違法であり、行為者に責任が問えるという3つの条件をすべて満たしている場合だけである。よって共犯が処罰されるのは、正犯者の行為がこの3つの条件すべてを満たしているという意味での「犯罪」である時に限られるのではないか、というのがこの議論の出発点である。この点については,以下のような形式があるとされる。
* 極端従属形式(正犯に構成要件該当性,違法性および有責性が必要。)
* 制限従属形式(正犯に構成要件該当性および違法性が必要。)
* 最小限従属形式(正犯に構成要件該当性が必要。)
* 単純な違法への従属形式(正犯に単純な違法性が必要。)
* 規範的障害への従属形式(正犯に規範的障害が必要。)
通説は、制限従属形式を採る。違法の連帯と責任の個別性がその根拠とされた。一方、正犯には構成要件該当性すら不要であるという見解が、古くから関西では有力である。近年は、関東においても、違法の相対性を部分的に承認し,制限従属形式を出発点としつつも要素従属性を緩和する見解や最小限従属形式をとる見解が非常に有力である。その一方で、違法の相対を承認しつつもなお制限従属形式を肯定する見解も登場している。
 
以上の実行従属性を巡る問題の他に、共犯の従属性に関してはもう一つ、'''要素従属性'''いう問題がある。これは、共犯が成立するためには概念上の正犯がどこまで犯罪要素を備えていなければならないか、という議論である。つまり、ある行為が犯罪として処罰されるのは、その行為が構成要件に該当し、違法であり、行為者に責任が問えるという3つの条件をすべて満たしている場合だけである。よって共犯が処罰されるのは、正犯者の行為がこの3つの条件すべてを満たしているという意味での「犯罪」である時に限られるのではないか、というのがこの議論の出発点である。この点については,以下のような形式があるとされる。
また、共犯と正犯又は各共犯に成立する罪名は同じである必要があるかという罪名従属性という問題がある。犯罪共同説からはこれを肯定する見解が多数であるが、一部の犯罪共同説や行為共同説からは否定される。もっとも、狭義の共犯については、正犯の構成要件該当性への従属性を肯定する通説からは、共犯の罪名が正犯の罪名を上回らないという意味で片面的な罪名従属性が肯定されることになる。これを前提に、65条2項によってこの例外が認められる(つまり共犯の罪名が正犯の罪名を上回ることになる)か否かは争いがあるが、通説は肯定する。
 
この点については,以下のような形式があるとされる。
* 誇張従属形式(正犯に処罰条件、構成要件該当性,違法性および有責性が必要)
* 極端従属形式(正犯に構成要件該当性,違法性および有責性が必要
* 制限従属形式(正犯に構成要件該当性および違法性が必要
* 最小限従属形式(正犯に構成要件該当性が必要
 
また、共犯と正犯又は各共犯に成立する罪名は同じである必要があるかという'''罪名従属性'''という問題がある。
また、共犯と正犯又は各共犯に成立する罪名は同じである必要があるかという罪名従属性という問題がある。犯罪共同説からはこれを肯定する見解が多数であるが、一部の犯罪共同説や行為共同説からは否定される。もっとも、狭義の共犯については、正犯の構成要件該当性への従属性を肯定する通説からは、共犯の罪名が正犯の罪名を上回らないという意味で片面的な罪名従属性が肯定されることになる。これを前提に、65条2項によってこの例外が認められる(つまり共犯の罪名が正犯の罪名を上回ることになる)か否かは争いがあるが、通説は肯定する。
 
さらに、近年においては、混合惹起説の登場に伴って従属性の二義性も指摘されている。すなわち、従属性には必要条件としての従属性と連帯性としての従属性があるというものである。例えば、要素従属性は前者の問題とされる。2つの意味の区別は、独立性・(必要条件としての)従属性と個別性・連帯性を分離し、惹起説を前提にしつつ個別的要素についての要素従属性を承認する混合惹起説の論者にとって特に重要だからである。
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