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劉瑾は一部の朝臣と結んで政治を壟断し、[[東廠]]・[[西廠]]などの諜報機関を使って反対派を弾圧、公然と収賄を行って朝政を堕落させた。これに対する世間の批判は強く、この時期に起こった[[安化王の乱]]も、劉瑾の排除を名分としていた。武宗にも疑われ始めた劉瑾は、正徳10年(1510年)、ついに帝位の簒奪を企てるが、「八虎」の仲間である[[張永]]に告発されて捕らえられ[[凌遅刑]](寸磔)に処せられた。特に凌遅刑の様子は刑務官であった張文麟によって詳細に記されている。
 
処刑された劉瑾の財産は没収されたが、その内容は、金250万両、銀5000万両、その他数え切れないほどの珍宝だったといわれている。これは、当時の[[戸部 (六部)|戸部]]の歳入の10年分に達するものだった。
 
[[Category:中国史の人物|りゆうきん]]