「サンロレンソの戦い」の版間の差分

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[[画像:Convento_de_san_carlos_borromeo.jpg|right|300px|thumb|サン・カルロス・ボロメオ修道院]]
 
'''サンロレンソの戦い'''は[[1813年]][[2月3日]]、[[サンロレンソ (サンタフェ州)]]で[[ホセ・デ・サン=マルティン]]の指揮するラプラタ軍が、ホセ・サバラの指揮する王党派軍を撃破してアルゼンチンの独立戦争の初めての戦いなります。
 
スペイン船団はほぼ250人で[[モンテビデオ]]から出発して[[パラナ川]]上って、[[ロサリオ]]を通り、サンロレンソの港より数キロ北の方にある[[サン・カルロス・ボロメオ修道院]]の目の前で朝5時半ぐらいに船を下りて修道院で糧を狙う。
修道院の後ろで隠れてました、サン=マルティン軍はその瞬間に乗馬で攻撃はじめ、ほぼ15分でスペイン軍をやっつけ戦いが終ります。
 
サン=マルティン軍は修道院の背後に軍備し、チャペルからスペイン軍の到着を確認したところで戦闘開始の指示を下す。
サン=マルティンのリポートによるとす王党派軍は40人死亡し、12人怪我して、そして14人は大砲されます。代わりにラプラタ軍は150人の内の26人はいなくなります。
糧を目的とし上陸したスペイン軍は戦闘準備が整っていなく、150名のラプラタ軍に15分で敗れる結果となる。
 
サン=マルティンはこの戦いの最中、落馬し、足が馬の下敷きになり身動きが取れない状態のところをスペイン軍が攻撃。危機一髪のところをファーン・バウティスタ・カブラルが盾となり、身代わりとなる。
 
この戦いでは[[ファーン・バウティスタ・カブラル]]はサンマルティンは馬落する時に命をた者とし殺されま、後世に名を残こととなる
 
==サンロレンソの行進曲==
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