「中牧昭二」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[拓殖大学]]ではアメフトで活躍し卒業後、スポーツ用品会社([[カドヤスポーツ]])の営業マンを勤め、[[読売ジャイアンツ]]の[[桑田真澄]]と関わる。(カドヤスポーツ)を解雇された翌年の1990年、「[[さらば桑田真澄、さらばプロ野球]]」([[リム出版]])を出版。桑田と暴力団との関わりや再三[[ソープランド]]の接待を要求されたこと、金をタカられたことや裏金の存在を暴露した。交際していた(前科のある)メンバーズクラブ社長から高級時計1個、金銭100万円程度を受領していたことについて、球団に虚偽の報告をしたとして桑田は謹慎1ヶ月・罰金1000万の処分を下された。関連して、巨人の湯浅代表も減俸3か月の処分。[[川島廣守]]セ・リーグ会長は巨人の選手管理不備に対して史上最高の制裁金2000万円、[[吉國一郎]]コミッショナーが[[正力亨]]オーナーに戒告処分、川島会長を戒ちょく処分とした。これが世に言う[[桑田裏金事件]]である。桑田が裏金をもらう時によく言っていたとされる「No Tax?」は流行語となった。カドヤスポーツは巨人との関係を重視(しかし、正当な告発を桑田本人は後に出版した著書の中で中牧を解雇が書いていることは全くの事実無根だと強く否定している」<ref>「試練が人を磨く―桑田真澄という生き方」[[扶桑社]] 1995年4月。</ref>)
 
[[プロレスラー]]に転向するため[[SWS]]の入団テストを受けたが不合格となり、[[大仁田厚]]率いる[[FMW]]に入団。暴露本の一件で、悪いイメージがついていた為、中々入団を認めず、ハードな入団テストを行い、周囲が好意的になった所で入団を認めている。[[1992年]][[5月31日]]に、[[ターザン後藤]]戦でデビュー。その後は[[W★INGプロモーション|W★ING]]→[[IWA・JAPAN|IWAジャパン]]→[[大日本プロレス]]とインディー団体を転々する。[[1997年]][[1月4日]]には、[[新日本プロレス]]の[[東京ドーム]]大会に参戦。[[蝶野正洋]]と対戦するも、僅か1分強で敗退(試合後、持参してきた有刺鉄線ボードに飛び込み、観客へアピールしていた)。その後、[[参議院]]議員になった大仁田の[[秘書]]となり、[[2003年]][[12月22日]]にレスラーを引退した。