「綿貫民輔」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
経済準学士 (会話 | 投稿記録)
34行目:
椎名派消滅後は[[田中角栄]]→[[竹下登]]→[[小渕恵三]]→[[橋本龍太郎]]派に移り、[[国土庁長官]]、[[建設大臣]]、[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]など要職を歴任。
 
竹下派分裂時、竹下・小渕らとも、[[羽田孜]]・[[小沢一郎]]らとも良好な関係にあった綿貫は、両派の間で板ばさみとなった。やがて同期当選組が多く参加していた[[羽田派]]の方へと傾くが、結局参加を見送り、小渕派へも参加せず無派閥を選択。羽田派が離党したも義理を通に小渕派に入会、3年ほど無派閥生活を送ってい
 
[[1998年]][[7月]]、小渕恵三の総理就任に伴い、空席となった[[平成研究会]](小渕派)会長に就任し、派内のまとめ役に徹した。[[2000年]]7月、第70代衆議院議長に就任。[[2002年]][[12月10日]]、議事進行原稿を一気に2枚めくったために、2000年度の決算採決という議題がまだ残っているにも関わらず散会宣言を行った。宣言直後に散会の無効を宣言したが、散会宣言は有効とされた。結局、決算採決は12日に行われた。