「金森赤レンガ倉庫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
K. Takeda (会話 | 投稿記録)
削除依頼に提出
Bellcricket (会話 | 投稿記録)
削除依頼終了、存続。依頼直前の版へ戻す
1行目:
[[Image:HakodateAkaRenga.jpg|230px|right|thumb|金森赤レンガ倉庫。トレードマークの「森」の字は、金森洋物店の商標である。]]
<!-- 削除についての議論が終了するまで、下記部分は除去しないでください。 -->
'''金森赤レンガ倉庫'''(かねもりあかれんがそうこ、英文表記:'''Kanemori Red Brick Warehouse''')は、[[北海道]][[函館市]]にある[[赤レンガ倉庫]]群の名称。金森商船株式会社が管理・運営を行う。[[大分県]]出身の実業家、[[渡邉熊四郎]]が初代となり[[明治時代]]に創設した「金森洋物店」が起源である。現在はショッピングモールや[[ビアホール]]・レストランが入居する、函館の観光名所となっている。所在地は北海道函館市末広町14番12号。
<div style="font-size: smaller; border: solid #999 1px; width: 75%; background: #eff; padding:1ex 1em 1ex 1em; margin: 0 auto 1em auto;">
 
<div style="text-align: center; font-size: 130%">'''削除提案中'''</div>
== 沿革 ==
<div style="float: left; width: 50px; padding-bottom: 10px">[[Image:Icono_aviso_borrar.png|50px|]]</div>
現在倉庫群が位置しているのは、[[幕末]]に造船所や外人居留地があった埋め立ての土地である。この地は「地蔵町築島」の呼称で親しまれ、明治時代以降は「船場町」という名に改称された。明治以前に大分県出身の渡邉熊四郎が[[長崎県]]から函館市に渡り、[[1869年]]に金森洋物店を開業した。これが現在の赤レンガ倉庫の起源となる。背景として、同年に[[榎本武揚]]らが率いた旧幕府軍の降伏を受け、函館市内に[[開拓使]]出張所が設置された経緯がある。洋物店開業の際、屋号を森屋とした。現在もレンガ建物に描かれている、「森」の字を直角の線で囲んだトレードマークは、この開業の時の商標である。
<div style="margin-left: 60px"><p>現在、この項目の一部の版または全体について、[[Wikipedia:削除の方針#削除依頼|削除の手続き]]に従って、削除が提案されています。</p>
 
<p>削除についての議論は、[[Wikipedia:削除依頼|削除依頼]]の[[Wikipedia:削除依頼/利用者:K. Takedaの新規投稿記事|'''依頼サブページ''']]で行われています。削除の議論中はこのお知らせを'''除去しないで'''ください。</p>
[[1884年]]頃より、渡邉熊四郎は自身の事業に倉庫が必要であると考え始めた。翌[[1885年]]には[[共同運輸会社]]と郵便汽船三菱会社が合併し、[[日本郵船]]会舎が設立。この合併により共同運輸会社がそれまで使用していた倉庫建物や地所が不要となっていたため、熊四郎がそれらを買い取り[[1887年]]より営業倉庫業を始めた。これは函館市内において最初の営業倉庫業であった。[[1890年]]頃には海運業が栄え、最初は不振だった倉庫業も倉庫の数が不足するほどに、預り貨物の量が増えていった。その後は金森船具店などを開業する傍ら倉庫の数を増やし、建物の建材には[[煉瓦]]や[[瓦]]が壁や屋根に使用された。また、同年に[[ドイツ]]の商人が住んでいた洋館を買い上げて場所を[[湯川]]へと移動させ、洋館のあった場所に倉庫を建設していった。
</div>
 
{{#ifexist:Wikipedia:削除依頼/利用者:K. Takedaの新規投稿記事||<div style="border:dashed 2px #c0c0c0; padding:1em; background: #ffffff; clear:both; text-align:center;">
その後も業務を拡大し、1656坪の土地に21棟もの倉庫を所有するまでに成長。一方熊四郎は[[1898年]]に函館麦酒醸造所の設立へ尽力し、函館ビヤホールを開店。これが現在の函館ビヤホールの起源となる。しかし、[[1907年]]に渡邉熊四郎が死去、同年[[8月]]には東川町を始めとし、倉庫群で大規模な火災が発生した。この大火災により、焼失した街は3分の1を残すのみとなる。金森倉庫も大きな被害を受け、6棟の倉庫を火事で失った。しかし、すぐに[[不燃質]]の建材を用いた倉庫再建の指示が下り、[[1909年]][[5月]]には完成。翌[[1910年]]には収益をあげるまでに事業は回復し、復興の早さで再び函館市の倉庫業における中心的役割を担った。
<p><span style="white-space:nowrap;">依頼サブページはまだ作成されていません。</span><span style="white-space:nowrap;">[{{fullurl:Wikipedia:削除依頼/利用者:K. Takedaの新規投稿記事|action=edit&preload={{urlencode:Template:新規削除依頼}}&editintro={{urlencode:Template:削除依頼雛型の利用法}}}} 雛型を利用して作成]できます。</span></p>
 
<p><span style="white-space:nowrap;">インクルード文 &#123;&#123;Wikipedia:削除依頼/利用者:K. Takedaの新規投稿記事&#125;&#125; の 貼り付け先は</span> <span style="white-space:nowrap;">[{{fullurl:Wikipedia:削除依頼/ログ/{{#time:Y年n月j日|+9 hours}}|action=edit}} Wikipedia:削除依頼/ログ/{{#time:Y年n月j日|+9 hours}}] です。</span></p>
昭和の後期にさしかかると、[[飛行機]]などの輸送形態が変化したことや、[[北洋漁業]]が縮小されるなどの歴史的背景が原因となり、倉庫業は徐々にその規模を縮小せざるを得なくなった。一方、金森倉庫建物は歴史的建造物として注目され、メディアに取り上げられるようになった。[[1988年]]には倉庫の一角が「函館ヒストリープラザ」として利用されることとなり、以降は「BAYはこだて」や「函館クリスマススクエア」など、様々な業態の店舗に生まれ変わった。
<p><span style="white-space:nowrap;"><span style="border:dashed 2px #ccc;padding:2px;">内枠</span>の中にあるメッセージはサブページが作成されると自動消去されます。</span><span style="white-space:nowrap">消去されない場合は{{purge|キャッシュを破棄}}して下さい。</span></p></div>
 
}}
[[1989年]]、金森船具店に改装が施され、金森美術館がオープン。これは[[フランス]]国外において唯一の[[バカラ]]ミュージアムとなった。さらに、[[1994年]]に金森倉庫のおよそ35%にあたる部分を改装し、金森洋物館が開店。[[2002年]]にBAYはこだてがオープンとなり、現在に至る。
<p style="clear: left">'''この項目の執筆者の方々へ''': まだ削除は行われていません。削除に対する議論に参加し、[[Wikipedia:削除の方針|削除の方針]]に該当するかをどうか検討してください。</p>
 
</div>[[Category:削除依頼中の記事]]
== 概要 ==
<!-- 削除についての議論が終了するまで、上記部分は削除しないでください。 -->
[[Image:Hakodate akarenngasouko.jpg|240px|right|thumb|夜の金森赤レンガ倉庫]]
{{copyrights}}
金森赤レンガ倉庫は函館市末広町に位置し、[[函館湾]]に面した[[ウォーターフロント]]に立ち並んでいる。現在営業している施設はイベントホール・レストランなどの店舗が入居する商業施設「BAYはこだて」、展示ホールや函館ビヤホールが入っている「函館ヒストリープラザ」、[[アンティーク]]などの輸入雑貨や[[クリスマス]]用品を扱う「金森洋物館」、コンサートや展示会、ウェディングプランも引き受ける「金森ホール」が主である。また、1020坪に及ぶ金森倉庫は、現在も倉庫として利用されている。
 
広さおよそ440平方メートル・約200名が入場可能な金森ホールでは、これまで[[秋吉敏子]]や[[田代慎之助]]をはじめとするコンサートが行われているほか、[[アンディ・ウォーホル]]展、[[ヒロ・ヤマガタ]]展などの展示会が行われている。その他、レンガ倉庫をかたどったクッキーなど、日本各地・世界各国より年間150~200万人に上る観光客へ向けたお土産品も取りそろえている。
 
また、毎年12月に行われる函館市のイベント、[[はこだてクリスマスファンタジー]]では、姉妹都市の[[カナダ]]・[[ハリファックス]]市からおくられる巨大な[[クリスマスツリー]]に装飾が施され、金森倉庫群前に設置される。倉庫前はこのツリーの点灯式会場となるなどイベントが行われ、一定の時間になるとツリーのイルミネーションが行われる。
 
近隣には元々金森洋物店として機能していた函館市立郷土資料館、はこだて明治館、北方歴史資料館などが位置。車で5分、徒歩で15分の位置にJR[[函館駅]]があるほか、[[函館市交通局|函館市電]]の「十字街」停留所も最寄り駅である。
 
== 参考文献 ==
* [http://www.hakodate-kanemori.com/history/history.html 金森倉庫の歴史]
* [http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/yowa/yowa_contents/yowa_030.htm 市史余話 西部風物詩の一つ "金森倉庫" の生い立ち] - 函館市ホームページより
 
== 外部リンク ==
* [http://www.hakodate-kanemori.com/ 金森赤レンガ倉庫公式ホームぺージ]
* [http://www.hkumaiyo.com/ 函館ビヤホール]
 
[[Category:函館市|かねもりあかれんかそうこ]]
[[Category:北海道の建築物・観光名所|かねもりあかれんかそうこ]]
[[Category:明治時代の文化|かねもりあかれんかそうこ]]