「中村芝翫 (4代目)」の版間の差分

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実生活でも逸話の多い人で、倅の四代目福助(後の[[中村歌右衛門 (5代目)|五代目中村歌右衛門]])が地球儀を見せて、ここが日本ですと教えると「べらぼうめ。日本がそんなに狭いわけがねえ。」と怒り出す。そこでアメリカを指して日本ですと言ったら「あたりめえよ。そうでなくちゃいけねえ。」と答えたり、近所で火事が起るとなにもかもほったらかして見物に行くなど。
 
温厚篤実な性格であったが、覇気に欠ける嫌いがあった。それがわざわいし、明治以降は古風な芸が時代に合わなくなっていった。また、口跡の悪さが年と共にひどくなったり、台詞覚えが悪いことが新作に向かないなどの理由で、大舞台から遠ざけられ小芝居に出るようになった。特に[[1893年]](明治26年)、巡業中の多治見で『[[隅田川続俤|法界坊]]』を上演中に足を負傷し、演技に支障をきたすようになるなど、ますます生彩を欠き晩年は不遇であった。
 
時折、歌舞伎座の舞台に立ち、観客を魅了した。実際の舞台に接した[[岡本綺堂]]は、芝翫の顔の立派さは[[市川團十郎 (9代目)|九代目團十郎]]の比ではないほど立派なもので、あの鋭い目で見得をすると他の俳優が光を失うと証言している。