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[[Image:Holy mother sarada.jpg|right|thumb|サーラダー・デーヴィー]]
'''サーラダー・デーヴィー'''(Sarada('''サラダ・デヴィ''', DeviSarada Devi, 通称:'''ホーリー・マザー''' (Holy Mother) , [[1853年]][[12月22日]] - [[1920年]][[7月20日]])は、[[インド]]の[[宗教家]]。[[19世紀]]のベンガルの霊性指導者である[[ラーマクリシュナ]]の、霊性のパートナーである。
 
当時のインドの一般的な慣習に従い、彼女は6歳の頃にラーマクリシュナの許嫁となった。18歳で、約97km離れた[[コルカタ]]に程近いダクシネーシュワル(現在はコルカタに編入)の[[ダクシネーシュワル・カーリー寺院|カーリー寺院]]に住む彼女の婚約者と生涯を共にするために、生まれ故郷のジャイラームバーティーを発った。その頃、ラーマクリシュナは霊性修行と修行僧としての生活に、自己の精神と肉体を捧げていたが、それでも、彼は非常に親切にサーラダーを迎えた。神の意志が彼女をここまで連れてこさせたのを感じたからである。