「アドリアン・ヴィラールト」の版間の差分
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ややあって[[1515年]]頃、今度は最初に[[ローマ]]に向かう。ヴィラールト青年の音楽的能力をほのめかすような[[逸話|アネクドート]]が今も伝わっていて、それによるとヴィラールトは、自作のモテット(おそらく6声のための《善き甘き御言葉 ''Verbum bonum et suave'' 》)が[[使徒座|聖座]]の聖歌隊によって歌われているのに気付いて驚いていると、さらに驚いたことに、礼拝堂の歌手たちは、その曲がかの有名な[[ジョスカン・デ・プレ|ジョスカン]]の作曲であると思い込んでいたという。そこでヴィラールトが相手の思い込みを訂正して――自分こそがその作者であると事実を告げて――やると、礼拝堂の聖歌隊から、二度と歌いません、ときっぱり断わられたというのである。実のところそれほどヴィラールト初期の様式は、よく練れたポリフォニー、声部間の巧みなバランス、模倣の頻繁な使用など、ジョスカンに非常によく似ていた。
[[1515年]]7月になると、[[フェラーラ]]で[[エステ家|イッポ
ヴィラールトの契約のうちで最も重大で、なおかつ西洋音楽史上で最も重大な契約のひとつが、[[ヴェネツィア]]の[[サン・マルコ寺院|サン・マルコ大聖堂]]楽長への着任である。同地の音楽はヴィラールトの前任者ピエトロ・デ・フォッシス Pietro de Fossis の許で斜陽を迎えていたが、それがまもなく改められたからである。
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