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|起工:
|[[1938年]][[5月31日]]
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|進水:
|[[1939年]][[2月20日]]
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|就役:
|[[1940年]][[3月2日]]
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|退役:
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|最大速:
|35[[ノット (単位)|ノット]]
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'''オブライエン'''('''USS O'Brien, DD-415''')は、[[アメリカ海軍]]の[[駆逐艦]]。[[シムス級駆逐艦]]の7番艦1938年5月31日に艦名は[[ボストン海軍工廠アメリカ独立戦争]]で起工され時の軍人1939年10月20日[[ジェレマイア・オブライエン]]とその兄弟進水、1940年3月2日に就役した。1942年10月19日戦没因む
 
==艦歴==
オブライエンは1938年5月31日に[[ボストン海軍工廠]]で起工され、1939年10月20日にジョセフィン・オブライエン・キャンベル(ギデオン・オブライエンの子孫)によって命名、進水、1940年3月2日にカール・F・エスペ少佐の指揮下就役した。艦は[[ウォーク (DD-416)|ウォーク]] (''USS Walke, DD-416'')、[[ランズデール (駆逐艦)|ランズデール]] (''USS Lansdale, DD-426'')、[[マディソン (駆逐艦)|マディソン]] (''USS Madison, DD-425'')と共に建造され、命名式は4艦合同で行われた。
 
就役後1940年から1941年にかけてオブライエンは東海岸沿いに作戦活動に従事した。
 
1942年1月15日、オブライエンは[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]を戦艦[[アイダホ (戦艦)|アイダホ]]、駆逐艦[[マスティン (駆逐艦)|マスティン]]と共に出港して太平洋に向かい、[[パナマ運河]]経由で1942年1月31日に[[サンフランシスコ]]に到着した。オブライエンは2月4日、船団と共に西太平洋へ向けて出港したが駆逐艦[[ケース (DD-370)|ケース]]と衝突したため引き返した。[[メア島]]で修理を行い、それから[[サンディエゴ]]経由で[[真珠湾]]へ向かった。
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[[Image:USSOBrienDD415_torpedo.jpg|left|thumb|魚雷が命中したオブライエン]]
1942年8月17日、オブライエンは[[第17任務部隊]]と出撃した。9月15日、日本の潜水艦[[伊号第一九潜水艦|伊19]]の発射した魚雷の内1本が命中した。オブライエンは21日に[[エスピリトゥサント]]に着き応急修理を受けた後9月21日に[[ニューカレドニア]]の[[ヌーメア]]へ向かい、そこで雑役艦[[アルゴン (雑役艦)|アルゴン]]による修理を受け10月10日にサンフランシスコへ向けて出港した。10月13日[[スバ]]に寄航。16日に出港。10月19日航行中に損傷が原因で沈没。乗員は全員救助された。
 
オブライエンは[[第二次世界大戦]]の戦功で1個の従軍星章を受章した。
 
==関連項目==
*[[アメリカ海軍艦艇一覧]]
 
==外部リンク==
*[http://www.navsource.org/archives/05/415.htm navsource.org]
 
{{シムス級駆逐艦}}
{{warship-stub}}
[[category:アメリカのシムス級駆逐艦|おふらいえん]]
 
[[en:USS O'Brien (DD-415)]]