「西郷寅太郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
こぶまき (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
4行目:
 
明治17年([[1884年]])[[勝海舟]]等の働き掛けが功を奏し、[[明治天皇]]の思召しから[[ポツダム]][[陸軍士官学校]][[留学]]を命ぜられ、13年もの間[[ドイツ]]で学び、その間[[プロイセン]][[陸軍少尉]]となる。帰国後[[陸軍戸山学校]][[射撃]]科を経て明治25年([[1892年]])陸軍少尉に任じられる。明治35年([[1902年]])[[6月3日]]父隆盛の維新の功により侯爵を授かり[[華族]]に列せられ、[[貴族院議員]](侯爵議員)に就任する。隆盛は[[大日本帝国憲法]]発布の[[大赦]]で赦され、隆盛に正三位が贈られた。
 
ちなみに、寅太郎の妻は[[武豊]]・[[武幸四郎]]の[[曾祖父]]武彦七の兄で、明治・大正にかけての実業家・代議士の園田実徳の娘のノブと結婚し、彼らは遠縁に当たる。[http://episode.kingendaikeizu.net/37.htm 系図で見る近現代 第37回]より。
 
[[第一次世界大戦]]中の大正3年([[1914年]])[[11月11日]]東京俘虜収容所長に就任、大正4年([[1915年]])[[9月7日]][[習志野俘虜収容所]]長に移る。大正8年(1919年)1月1日[[スペインかぜ|スペイン風邪]]による[[肺炎]]が元で在職中に[[死|薨去]]。同年[[1月5日]]特旨により従三位に叙せられる。墓所は[[東京都]]・[[青山霊園]]。
 
[[家督]]は長男の[[西郷隆輝|隆輝]]が継ぐが、隆輝に継嗣がいなかったため、その後を寅太郎の三男・[[西郷吉之助|吉之助]]が継ぐ。吉之助は貴族院議員・[[参議院議員]]となり[[法務大臣]]を務める。ちなみに、妻・ノブ(信子・隆輝、吉之助の母)の父・園田実徳は[[武豊]]・[[武幸四郎]]の[[曾祖父]]・武彦七の兄にあたるため、彼らは遠縁関係となる。([http://episode.kingendaikeizu.net/37.htm 系図で見る近現代 第37回]より。)