「パトリック・エムボマ」の版間の差分

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==来歴==
[[カメルーン]]、[[ドゥアラ]]生まれ。2歳の時に家族と共に[[フランス]]に移住。そのしたためフランスとの2重国籍も保有する
[[パリ]]の[[スタード・ドゥレスト]]でキャリアをスタート、後に[[パリ・サンジェルマン]]に移籍。[[1993年]]/[[1994年]]シーズンには3部リーグの[[シャトールー]]に貸し出され、ここでは29試合出場17得点と活躍。パリ・サンジェルマンに戻るも出番には恵まれず、[[1995年]]/[[1996年]]シーズンには1部リーグの[[FCメッツ|メス]]に貸し出される。
[[1997年]]に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[ガンバ大阪]]に移籍。圧倒的な個人能力の高さを発揮し、28試合出場25得点の大活躍、前線の圧倒的な存在感を示した。「浪速の黒豹」と呼ばれ、応援スタンドには「神様 仏様 エムボマ様」の垂れ幕が踊った。高さ、速さ、巧さと3拍子の揃った[[フォワード|FW]]で、前線で圧倒的な存在感を示した。[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]戦で驚異的としか言いようの無いリフティングシュートを覚えていない人はいないだろう決めた加えてまたこの年のエムボマを抑えることのできる[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]は日本にはいないおらず、このこ言ってから過言では無い程、エムボマのストライカーとしての能力は群を抜いていたとわかる。これと並行するように、[[サッカーカメルーン代表|カメルーン代表]]でもエースとして[[1998 FIFAワールドカップ|フランスW杯]]・アフリカ予選で活躍。[[1998年]]に行われたFIFAワールドカップ・フランス大会にもレギュラーとして出場するが、この時はチーム事情により[[ボランチ]]としての出場であったため、予選最終試合での得意のヘッドによる1得点のみにとどまってしまった。
[[1998年]]/[[1999年]]シーズンからは再びヨーロッパに舞台を移し、イタリア・[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[カリアリ・カルチョ|カリアリ]]や[[ACパルマ|パルマ]]、[[イングランド]]・[[FAプレミアリーグ]]の[[サンダーランドAFC|サンダーランド]]でもプレイするが、個人能力の高さがあだとなったか、イタリアでは戦術になじめず、その影響からか、イングランドでもついに本領を発揮することはできなかった。しかし、カメルーン代表としては着々とキャリアを積み、[[2000年]]には[[シドニーオリンピック]]に[[オーバーエイジ]]で出場し金メダルに導く、またアフリカ年間最優秀選手賞も受賞。代表の兄貴分として、[[サミュエル・エトオ]]をはじめ後輩選手にも慕われた。
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