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[[安土桃山時代]]になると[[天正]]14年([[1586年]])に[[徳川家康]]の[[鷹狩り]]の相良御殿となった。その後[[江戸時代]]に本多氏3代、板倉氏1代、本多氏1代の城郭となっている。
 
近世の相良城は[[明和]]4年([[1767年]])に[[田沼意次]]が10代将軍[[徳川家治]]の命により築城したもので、5万7千石を領した「田沼時代」と言われる権勢を誇った城郭を築いたものである。[[狭間川]]、[[天の川]]を外堀として本丸、二の丸、三の丸から成り、その規模は東西500m500m、南北450m450mで約7万坪に及ぶ。三重櫓を中心に櫓は6基あり、三重の堀を廻らし、総石垣で、[[安永]]9年([[1780年]])12年の歳月をかけて完成した。
 
城跡は牧之原市役所相良支所、相良城史料館が本丸跡に、小学校が二の丸跡、[[静岡県立相良高等学校|高校]]が三の丸跡にある。
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== 移築現存==
1782年御殿と書院を大慶寺(現在の[[藤枝市]]藤枝4-2-7)庫裡に移築している。
 
== 関連項目 ==
*[[日本の城一覧]]
 
== 外部リンク==
*[http://www.city.makinohara.shizuoka.jp/asp/mc0040.asp?yid=MK00000126 相良城について]
 
[[Category{{DEFAULTSORT:日本の城|さからしよう]]}}
[[Category:静岡県日本歴史|さからしよう]]
[[Category:静岡県の歴史]]