「于山国」の版間の差分

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([[智証麻立干]])十三年([[512年]])夏六月、'''于山国'''を服属し毎年土地の産物を貢いだ。'''于山国'''は[[新羅#九州|溟州]](現在の[[江原道]][[江陵市]])のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島という。外周は百里ほどで、渡航が困難なことを恃みにして服従しなかった。何瑟羅州の軍主となった[[新羅#官位制度|伊飡]]の[[異斯夫]]が言うには、于山人は愚かで凶暴である。威嚇するのは難しいが計略をもってすれば服従させることができる。そこで木製の[[獅子]]の像を多く造り戦艦に分けて載せその国の海岸に着くと、誑かして「お前たちがもし服属しなければ、すぐにこの猛獣を放ち踏み殺させるぞ。」と告げると、于山国人は恐れ慄きすぐに降伏した。
 
 
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