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これら宦官の専横に対して皇帝側でも宦官を排除しようとする動きが出てくる。[[憲宗 (唐)|憲宗]]は前述したように危険な薬物の副作用で宦官を虐殺したとされるが、これを副作用に事付けて宦官を殺そうとしていたのではないかと見る向きもある。憲宗の孫の[[文宗 (唐)|文宗]]は宦官に対して不快感を抱いており、それを察した官僚[[李訓]]・[[鄭注]]は宦官殺害の策を練り、[[835年]]に「甘露が降ると言う瑞兆があった」と言う偽りを報告し、これを口実として宦官を集めて一気に殺害する計画を立てた。しかし内部の不一致によりこの計画は失敗し、李訓たちは殺される。これを[[甘露の変]]と呼び、これ以降は宦官を抑えようとする動きは無くなる。
 
これらのことを皇帝と宦官の対立と見るのは正しくない。宦官の権力の源泉は何といっても皇帝であり、皇帝なくして宦官はあり得なかった。また皇帝側からも宦官を必要としていたのは明らかな事実であり、その両者があったからこそ宦官という存在がありえたのである。
 
== 経済 ==