「羅府新報」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ajtnk (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
'''Rafu Shimpo''' 羅府新報 は[[ロサンジェルズアメリカ]]の[[邦字新聞]] <br>
[[1903年]]創刊、現在[[アメリカ]]国内で最も購読されている、毎日45,000部発行<br>
オフィス:[[リトル・トーキョー]]
 
==歴史概要==
===アメリカ最大の邦字新聞===
*[[1903年]] [[南カリフォルニア大学]]の[[学生]]だった山口正治、渋谷清次郎、飯島敬一郎は ロスアンゼルス市・メイン街の小さなオフィスで[[新聞]]の発刊を始める
[[1903年]]に[[ロサンゼルス]]で創刊された。現在は毎日45,000部発行されており、アメリカ国内で最も多く購読されている邦字新聞である。本社はロサンゼルス中心部の[[リトル・トーキョー]]にある。
*名称 "羅府新報" は、[[中国語]]でロスアンゼルスのことを言う "Rashogiri" の最初の文字 "羅" 、[[日本語]]で 地域行政([[県]]など)を表す "府"、新聞を表す "新報" を合わせて命名
 
===名称===
*[[1926年]][[2月21日]]、[[英語]]部門設立
*名称 "羅府新報" 」の名前は、[[中国語]]でロスアンゼルスのことを言う "Rashogiri" の最初の文字 "" 、[[日本語]]で 地域行政([[県]]など)を表す ""、新聞を表す "新報" を合わせて命名された。
*[[1942年]][[4月4日]]、戦時中に休刊、駒井・ヘンリー・豊策(編集長)[[サンタフェ]]([[ニューメキシコ州]])に収監
 
*駒井・ヘンリー・豊策の息子, 駒井明 が再刊
==歴史==
*[[1946年]]、発行部数500部
*[[1903年]] [[南カリフォルニア大学]]の[[学生]]だった山口正治、渋谷清次郎、飯島敬一郎が、ロスアンゼルス市・メイン街の小さなオフィスで[[日本語]][[新聞]]の発刊を始める
*[[1976年]]、発行部数2万部、アメリカ国内最大の[[邦字新聞|日系新聞]]になる
*[[1926年]][[2月21日]][[英語]]部門設立
*[[1983年]]、駒井・ヘンリー・豊策の孫、駒井・マイケル・幹男が運営、羅府新報[[基金]]設立
*[[1942年]][[4月4日]]:日米間の開時中休刊伴う[[日系人の強制収容]]により、駒井・ヘンリー・豊策編集長[[サンタフェ]]([[ニューメキシコ州]])に収監されたことにより休刊となる。
*[[1946年]]:駒井・ヘンリー・豊策の息子, 駒井明 が再刊。発行部数500部。
*[[1976年]]発行部数2万部、アメリカ国内最大の[[邦字新聞|日系新聞]]になる
*[[1983年]]駒井・ヘンリー・豊策の孫、駒井・マイケル・幹男が運営、羅府新報[[基金]]設立
 
==関連項目==