「ペドロ・ゲレーロ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
15行目:
 
しかし[[1988年]]にはシーズン序盤に再び故障し約2か月欠場。
ただしこの間もチームは勝ち続け、成績の割に有効打が少ないとみなされ、[[フェルナンド・バレンズエラ]]の故障で先発左腕投手の補強を急務とするチーム事情もあってシーズン中[[8月16日]]に[[ジョン・テューダー]]との交換[[トレード]]で[[セントルイス・カージナルス]]に移籍。
すぐに四番に座り、翌[[1989年]]には全162試合に出場して打率.311。当時本拠地[[ブッシュ・スタジアム]]が広かったこともあって17本塁打に終わったが、117打点を記録。二塁打42はリーグ1位であった。この年、自身5度目のオールスターにも出場した。
[[1990年]]年以後は欠場がちとなり、肩の故障で43試合の出場に終わった[[1992年]]を最後に現役を引退。
 
[[1980年代]]にメジャーリーグ各チームはラテン系、特にドミニカに人材を求めてスカウト網を巡らせることとなったが、その先駆けともいえる選手がゲレーロであった。
 
 
==受賞歴・記録==