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1966年に大リーグ選手会長に就任後は、選手会をオーナー側と対等の地位にまで向上させるべく活動した。大リーグには「保留事項」が存在し、これがオーナーに対する選手側の立場の弱さの理由になると選手会側が考えていたのだった。
 
[[1969年]]オフから勃発した[[カート・フラッド事件]]では[[カート・フラッド|フラッド]]に訴訟費用の負担を約束し、全面協力。フラッドはメジャー機構と[[ボウイ・クーン|ボウイ・キューン]][[コミッショナー]]を提訴し、全面対決。最高裁までもつれこんだ裁判は敗訴に終わったが、保留条項に一石を投じた。
 
選手協会とオーナー側とのはじめての協約を結んだほか、最低年俸の増額、養老年金の充実、年俸調停制度の創設、そして、1976年オフのフリー・エージェント制度の導入などの成果を挙げたのだった。