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'''ボウイ・クーン'''(Bowie Kent Kuhn,[[1926年]][[10月28日]] - [[2007年]][[3月15日]])は、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の第5代[[コミッショナー]](在任1969年2月4日-1984年9月30日)、[[アメリカ合衆国]]の[[弁護士]]。[[メリーランド州]][[タコマパーク]]に生まれ、[[ワシントンD.C.]]で育った。2007年3月15日、[[肺炎]]による呼吸不全のため[[フロリダ州]]ポンテベドラビーチの病院で死去。
ファミリーネームについて日本では「'''キューン'''」という記述も非常に多い。
 
== 人物 ==
オーナー、選手会、ファンなどとことごとく対立するけんか腰の強い人物であった。自己中心的なオーナーには資格停止、あるいは罰金を科した。選手会とは[[フリーエージェント]]制導入をめぐり激しく対立。選手会委員長の[[マービン・ミラー]]はクーンを宿敵と呼び、クーンはミラーを鶏小屋を荒らす狐と非難した。また、コーチだった[[ウィリー・メイズ]]と[[ミッキー・マントル]]のカジノとの兼業を認めず、この2人は球界を離れた。そのため、ファンはクーンが球界から追放したと非難した。この2人を賭博に関与したとして資格停止処分にしたこともある<ref>後年、クーンの次のコミッショナーの[[ピーター・ユベロス]]がその処分を解除した。</ref>
 
また、在任中に起こった[[カート・フラッド事件]]では、[[カート・フラッド|フラッド]]が願い出た[[フリーエージェント]](FA)を認める申請を拒絶。フラッドの提訴によって法廷に持ち込まれ、最高裁まで争われることとなった。これを契機に[[1975年]]に年俸調停制度とトレード拒否権、[[1976年]]にはフリーエージェント制度が成立することとなった。
 
1977年9月3日に[[王貞治]]が通算本塁打数世界記録を更新したときクーンは「世界記録であることは認めるが、大リーグ記録ではない」との声明を発表している。球団数拡張、[[ワールドシリーズ]]の[[ナイター]]開催、[[アメリカン・リーグ]]での[[指名代打]]制の導入、ディビジョン制の導入などの功績も残している。1969年のMLB選手平均年俸は約1万9,000ドルだったが、1984年には約33万ドルにまで上昇した。
*[[カート・フラッド事件]]
*[[キャットフィッシュ・ハンター事件]]
 
==脚注==
<references />
 
{{先代次代|アメリカ大リーグコミッショナー|第5代: 1969年 - 1984年|[[ウィリアム・エッカート]]|[[ピーター・ユベロス]]}}
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