「イーノス・スローター」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Teacups (会話 | 投稿記録)
Teacups (会話 | 投稿記録)
追記
4行目:
1935年にカージナルスと契約し、3年後の1938年にメジャーデビュー。1年目から112試合に出場し打率.276の成績を残す。スローターはスムーズなレベルスイングから、確実にボールを打ち返すコンタクトヒッターとしてカージナルスのレギュラーに定着、2年目には打率.320と、リーグ最多の52本の二塁打を放つ。打率は戦時下でプレーをしなかった1943~1945年を除いて5年連続で3割を維持し、1942年シーズンにはリーグ最多の188安打、打率.318を記録して最多安打と首位打者のタイトルを獲得する。
 
[[第二次世界大戦]]中は従軍し[[サイパン]]に派兵されていた。後日スローターは当時を回顧し、『俺たちが球場を作って野球をしていると、崖の上から日本兵が無防備に見ていた』というコメントを残している。<ref>http://www.sportsnetwork.co.jp/adv/bn_writer_2005/okazaki/vol262-1_okazaki_index.html</ref>
第二次世界大戦後の1946年シーズンには130打点でリーグの打点王を獲得。ワールドシリーズでも二塁打、三塁打、本塁打それぞれ1本を含む8安打を放ち、カージナルスをワールドシリーズ制覇に導いた。またオールスターゲームには、1946年以降トレードされる1953年まで8年連続の出場を誇る。
 
第二次世界大戦後1946年シーズンには130打点でリーグの打点王を獲得。ワールドシリーズでも二塁打、三塁打、本塁打それぞれ1本を含む8安打を放ち、カージナルスをワールドシリーズ制覇に導いた。またオールスターゲームには、1946年以降トレードされる1953年まで8年連続の出場を誇る。
 
1953年にカージナルスを離れ、ヤンキース、アスレチックスと渡り歩く。1956年シーズン途中からヤンキースに復帰。この年から3年連続でワールドシリーズに出場した。1959年にブレーブスに移り現役を引退する。
54 ⟶ 56行目:
 
==出典・外部リンク==
<references/>
*[http://www.baseballhalloffame.org/hofers/detail.jsp?playerId=122319 National Baseball Hall of Fameによる紹介(英語)]
*[http://retrosheet.org/boxesetc/S/Pslaue101.htm 年度別成績 (Retrosheet)]