「クラウディア・オクタウィア」の版間の差分

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'''クラウディア・オクタウィア'''('''Claudia Octavia''', 紀元[[40年]] - 紀元[[62年]])は、ローマ皇帝[[クラウディウス]]と3番目の妻[[メッサリナ]]の娘で[[ブリタンニクス]]の姉。[[ネロ]]の義理の妹であり最初の妻にあたる。通常単に'''オクタウィア'''と呼ばれる。
#REDIRECT [[オクタウィア]]
 
当初はクラウディウスによって[[小ユリア]]の孫にあたるルキウス・ユニウス・シラヌスと婚約させられていたが、メッサリナの死後クラウディウスが[[小アグリッピナ]]との関係を深めるとこの婚約は破棄された。自らの子ネロを帝位に就けるため、ネロとオクタウィアの結婚を小アグリッピナが望んだためといわれている。49年にクラウディウスと小アグリッピナが結婚すると、同じ年にオクタウィアもネロと婚約した。その後50年2月25日にネロがクラウディウスと養子縁組を行い、小アグリッピナの連れ子から皇帝の養子とその立場を変える。
 
53年に12歳でネロと正式に結婚。54年に父クラウディウスが死ぬと夫ネロが皇帝となる。翌55年には弟ブリタンニクスがネロにより晩餐の最中に暗殺されている。
 
ネロは女奴隷であるアクテを実質上側室とするなど性的に放縦な傾向を示していたが、オクタウィアは貞淑な妻として夫に尽くしていたといわれる。その後ネロが友人[[オト]]の妻であった[[ポッパエア・サビナ]]に心を惹かれるようになると58年にオトは[[ルシタニア]]総督を命じられ、ローマから引き離された。ネロはポッパエアとの結婚を望んだが、ネロの母小アグリッピナは野心の強い女との結婚には反対し、高貴な血を引くオクタウィアとの離婚を許さなかった。しかし59年に小アグリッピナがネロによって暗殺されると、62年にオクタウィアは不妊を理由に離婚され、さらに内乱を画策したとして姦通罪で[[ティレニア海]]の孤島パンダテリア島(現在の[[ヴェントテーネ]]島)に幽閉。最期は自殺を強要され死んだ。オクタウィアはローマ市民から愛されたが、夫からはあまり愛されなかったといわれている。
 
彼女を題材に、セネカ作といわれる悲劇『[[オクタウィア (悲劇)|オクタウィア]]』が作られた。