「小袖曾我薊色縫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Trashwriter (会話 | 投稿記録)
m Wikiのスタイルにのっとりに整形
1行目:
'''小袖曽我薊色縫'''(こそでそがあざみのいろぬい)は[[歌舞伎]]の演目。1858(年([[安政]]5)2)2月市村座初演。作者二代目河竹新七(のち[[河竹黙阿弥]])。六幕。別名題『花街模様薊色縫』(さともようあざみのいろぬい)、通称'''十六夜清心'''(いざよいせいしん)も知られる。
 
== 概略 ==
 1805(1805年([[文化]]2)に刑死した盗賊鬼坊主清吉の講釈ネタに、1856(1856年(安政2)2の江戸城御金蔵破りの事件をからめ、剣客八重垣紋三のエピソードと初春の狂言の恒例による曽我兄弟の対面を付け加えたものだが、今日では清吉(劇中では鬼薊清吉)の筋が専ら上演される。
 
== あらすじ ==
=== 第1幕  稲瀬川の場 ===
 鎌倉極楽寺に賊が入り、頼朝公寄進の金子三千両が失われる。捜査の過程で、金子管理の役僧清心坊が扇屋の女郎十六夜と関係しているのが発覚し、清心は鎌倉を追放される。あてもなく稲瀬川百本杭を歩く清心に店を抜け出てきた十六夜が追いつき、二人は世をはかなんで川に身を投げる。清心は死にきれず、通りかかった寺塚求女が癪で苦しむのを介抱する内、百両の大金を所持している事を知り求女を殺して金を奪い盗賊となる。求女が恋人十六夜の弟、百両が清心への選別とは気付かずに。一方十六夜は白魚を採っていた俳諧師白蓮に救われる。              
=== 第2幕 ===
 
===第2幕 ===
;初瀬小路妾宅の場
 :白蓮の妾となっておさよとなった十六夜であったが、清心を死んだと思いこみ毎日位牌を拝んでいる。その貞節に感じ入った白蓮はおさよに暇をやり、出家させる。おさよは父西心ともども巡礼の旅に出る。
 
;地獄谷山神祠の場
 :おさよは悪人に連れ去られ、女盗賊の地獄婆お谷の子分十六夜おさよとなるが、箱根の山中で偶然清心に出会う。清心も鬼薊清吉と名乗る盗賊に墜ちていた(世話[[暗闘]](だんまり)で演じられる
 
=== 第3幕  雪ノ下白蓮宅の場 ===
 清吉とおさよは夫婦揃っての悪党になり、連れ立って白蓮の家に強請りに行く。白蓮が手切れ金に渡した小判の包み紙に清吉が極楽寺の役僧のときに押した刻印があるのがわかり、清吉夫婦は図に乗って恐喝するが、実は白蓮こそ天下の大泥棒大寺正兵衛であり、しかも清吉が幼い時に生き別れた実の兄であることが分かる。思わぬ因縁に驚く三人であったが白蓮の下男に変装していた役人寺澤搭十郎に知れる事となり、捕り手に囲まれる。白蓮実は正兵衛の女房はわざと夫に手に係り死ぬ。清吉、おさよ、正兵衛の三人は捕り手の包囲を脱して逃げさる。   
          
=== 第4幕  名越  無縁寺の場 ===
 清吉とおさよは幼いわが子とともに、おさよの父西心の庵室に潜伏している。清吉は知らぬこととはいえ自分がおさよの弟を殺した事実を知り、涙ながらにおさよに告白する。狂ったように泣くおさよ。二人は自殺しよう争うはずみに、あやまって清吉はおさよを殺してしまう。清吉もかけつけた西心と正兵衛にわが子の将来を托し自害する。正兵衛は棺桶に隠れて脱走しようとするが捕らえられる(この場では他所事浄瑠璃『恋娘昔八丈・鈴が森引き回しの段』が使われ、清吉の心理を上手く表している)
(この場では他所事浄瑠璃『恋娘昔八丈・鈴が森引き回しの段』が使われ、清吉の心理を上手く表している。)
 
== 初演時の配役 ==
*極楽寺所化清心のち鬼薊清吉 [[市川小團次 (4代目)|四代目市川小團次]]
*傾城十六夜のち十六夜おさよ 三代目岩井粂三郎(のち八代目[[岩井半四郎 (8代目)|岩井半四郎]])
*俳諧師月岡白蓮実は盗賊大寺正兵衛             
*地獄婆お谷 [[関三十郎 (3代目)|三代目関三十郎]]
*西心 二代目浅尾与六
*寺小姓恋塚求女 十三代目[[市村羽左衛門]](のち五代目[[尾上菊五郎 (5代目)|尾上菊五郎]])
*下男杢助実は寺澤搭十郎 二代目市川米十郎
*正兵衛女房お藤 吾妻市之丞
*船頭三次 中村鴻蔵
*八重垣紋三 初代[[河原崎権十郎]](のち九代目[[市川團十郎 (9代目)|市川團十郎]])
 
== その他 ==
 題名に凝る新七らしく、「小袖曽我」は能楽の演目に、劇中追放される清心に小袖を渡す場面を利かせている。「薊」は「鬼薊清吉」の一字を「色」は十六夜の働く「色街」をそれぞれ利かせている。
 
 初演は大当たりであったが、官憲に江戸城御金蔵破りの一件を仕組んだ事が睨まれ、上演中はかなりのカットが行われ筋がわからなくなるほどであった。それでも35日目には上演禁止となった。
 題名に凝る新七らしく、「小袖曽我」は能楽の演目に、劇中追放される清心に小袖を渡す場面を利かせている。「薊」は「鬼薊清吉」の一字を「色」は十六夜の働く「色街」をそれぞれ利かせている。
 
 
 初演は大当たりであったが、官憲に江戸城御金蔵破りの一件を仕組んだ事が睨まれ、上演中はかなりのカットが行われ筋がわからなくなるほどであった。それでも35日目には上演禁止となった。
 
 新七は、黙阿弥と改名後の1886(年(明治18)『[[四千両小判梅葉]]』を脚色し、実録風の江戸城御金蔵破りを劇化している。
 
 『稲瀬川』は風采の上がらない小團次と美しい女形の粂三郎の色模様が、清元『梅柳中宵月』をBGMに使う江戸情緒あふれる場面である(実際は江戸の隅田川)粂三郎の妖艶さは「あれなら迷わぬ方がどうかしている。ナニ寺を開いたってかまやしねえ。」と名人小團次に溜息混じりに言わせるものであった。
 
 新七はまだ若手の粂三郎に、第1幕は豊かな黒髪」(2)「坊主頭」(3・4)「ショートヘア」(第3・4幕)と、3つの異なる髪型を演じさせる事で同優の魅力を引きたてさせた。ただ、2幕目でいきなり坊主では困るとの粂三郎の母からクレームがついたので、はじめ頭巾を被り、幕切れで「変わりし頭を旦那様に」と西心が頭巾をとり、おさよの坊主頭が出る。ここで「あれ。(ト(ト恥ずかしき思い入れにて、傍らの網代笠を冠る。これを柝の頭)お恥ずかしゅうございます。」と、おさよが恥らう演出に替えて好評を得た。
 
 清心と十六夜は当代の人気役者が演じるのが定型となり、戦前は十五代目[[市村羽左衛門]]と六代目[[尾上梅幸 (6代目)|尾上梅幸]]。戦後は十一代目[[市川團十郎 (11代目)|市川團十郎]]と七代目[[尾上梅幸 (7代目)|尾上梅幸]]。現在は現[[片岡仁左衛門 (15代目)|片岡仁左衛門]]と[[坂東玉三郎 (5代目)|坂東玉三郎]]が代表的な取り合わせである。
 
[[Category:歌舞伎の演目|こそてそかあさみのいろぬい]]