「真弓明信」の版間の差分

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PeachLover (会話 | 投稿記録)
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{{野球選手
|選手名= 真弓明信
|選手写真ファイル名=
|写真サイズ=
|写真のコメント=
|愛称= ジョー
|国籍= {{JPN}}
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|誕生日= [[1953年]][[7月12日]]
|身長= 175
|体重= 70<!--現役時-->
|守備位置= [[外野手]]
|打席= 右
|利き腕= 右
|背番号= 7
|年俸=
|デビュー年= [[1973年]]
|経歴= [[柳川高等学校|柳川商]]-[[NTT西日本硬式野球部|電電九州]]-<br />[[西武ライオンズ|クラウンライターライオンズ]]-<br />[[阪神タイガース]]
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[[柳川高等学校|柳川商高]]から社会人野球の[[NTT西日本硬式野球部|電電九州]]を経て、[[1972年]][[ドラフト会議|ドラフト]]3位で[[西武ライオンズ|太平洋クラブライオンズ]]に入団。米国の教育リーグに留学した後、[[1975年]]に当時の[[江藤愼一]]監督から打撃の才能を見出され(フロントはキャンプでの成果によっては解雇するつもりだったらしいが、それを聞いた江藤監督が「磨けば光るダイヤモンドをどぶに捨てるのか」と激怒して残留となった)、一軍への定着を果たす。[[1978年]]に遊撃手のレギュラーとなり、同年は[[ベストナイン]]に選出。[[1979年]]に[[田淵幸一]]らとの大型トレード([[世紀のトレード]]項目参照)で[[阪神タイガース]]に移籍。長打力のある1番打者として活躍し、同年[[5月20日]]には[[サイクルヒット]]を達成する。
 
[[1983年]]には[[岡田彰布]](現・阪神タイガース監督)の故障に伴って二塁手に転向し、[[打率]].353で[[首位打者]]を獲得。二塁手のベストナインにも選出される。[[1984年]]も岡田の外野コンバートにより、そのまま二塁手のレギュラーを務めた。
 
[[1985年]]にはその岡田とポジションを入れ替える形で外野手に転向、同年に打率.322、34[[本塁打]]、84[[打点]]の好成績でチームのリーグ優勝・日本一に貢献。その後は[[1994年]]に[[代打]]の切り札として17安打で30打点と驚異的な勝負強さを発揮した。[[1995年]]限りで現役を引退。
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引退後は[[朝日放送]]、[[サンテレビジョン]]の[[野球解説者]]、[[日刊スポーツ]]野球評論家を務め、[[2000年]]に[[大阪近鉄バファローズ]]の打撃コーチに就任した。[[2002年]]にヘッドコーチとなるも、2004年に[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]との合併により退任。[[2005年]]から前述の解説に復帰する。
 
2002年[[8月16日]]の対西武戦([[西武ドーム]])では出場停止の[[梨田昌孝]]に代わって[[監督代行]]を務めた。この日の試合は近鉄打線が爆発、2回途中で西武先発の[[松坂大輔]]をノックアウトし、この回の終了時点で近鉄が9-0とリードしていた。ところが近鉄先発の[[ジェレミー・パウエル]]が突然崩れ、4回終了時点では9-10と逆転を許す。7回表に[[吉岡雄二]]が同点本塁打を放つものの、その裏に[[松井稼頭央]]の2点本塁打で勝ち越され、そのまま10-12で敗れた。9点以上の差を逆転されての敗戦は史上7度目(うち3度は10点差を逆転)のことである。
2002年[[8月16日]]の対西武戦([[西武ドーム]])では出場停止の[[梨田昌孝]]に代わって[[監督代行]]を務めた。<br>
この日の試合は近鉄打線が爆発、2回途中で西武先発の[[松坂大輔]]をノックアウトし、この回の終了時点で近鉄が9-0とリードしていた。ところが近鉄先発の[[ジェレミー・パウエル]]が突然崩れ、4回終了時点では9-10と逆転を許す。7回表に[[吉岡雄二]]が同点本塁打を放つものの、その裏に[[松井稼頭央]]の2点本塁打で勝ち越され、そのまま10-12で敗れた。9点以上の差を逆転されての敗戦は史上7度目(うち3度は10点差を逆転)のことである。
 
==エピソード==
*[[若菜嘉晴]]は高校時代のチームメイトだったが、若菜が高卒で西鉄に入団したのに対して真弓が同時に入団出来なかったのは、真弓の身長が低かったからだと言われる。若菜とはプロ入り後に再びチームメイトとなり阪神にも一緒に移籍、若菜が阪神を退団する[[1982年]]までチームメイトだった。
*プロ野球史上屈指のハンサムな顔立ちと躍動感のある足さばき、柔軟かつ強力なリストを武器に攻走守三拍子揃ったはつらつとしたプレイぶりで、阪神の中にあっても最も人気のある選手の一人であった。阪神生え抜きというイメージで見られることもあるが、クラウンライターライオンズ時代にベストナイン・オールスターに選出されるなど、セ・パ両リーグで活躍した選手である。
*大変笑顔が似合う優男のイメージが強いが、[[ゴルフ]]の飛距離は球界でもトップクラスで、球界ゴルフコンペでは何度もドラコン王に輝いている。また、先述した同級生の若菜が鼻っ柱の強い、喧嘩っ早いイメージがあるのに対して、真弓は正反対のイメージを持たれている。だが、若菜ら友人によれば「本当に喧嘩が強いのは真弓だ」とのこと。
*以前、[[洋服の青山]]のイメージキャラクターであったが、降板後もチラシのモデルで登場している。
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!年度!!所属!!試合!!打数!!得点!!安打!!二塁打!!三塁打!!本塁打!!塁打!!打点!!盗塁!!盗塁刺!!犠打!!犠飛!!四球!!死球!!三振!!併殺!!打率
|-
|1973||rowspan="46" style="vertical-align: middle;"|[[西武ライオンズ|太平洋・クラウン]]
|2||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||---
|-
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|1976||18||36||2||4||1||0||0||5||2||0||0||0||0||1||0||3||0||.111
|-
|1977||116||276||37||72||9||1||6||101||14||21||8||9||2||8||0||35||5||.261
|1977||rowspan="2" style="vertical-align: middle;"|クラウン
|116||276||37||72||9||1||6||101||14||21||8||9||2||8||0||35||5||.261
|-
|1978||118||418||68||117||13||3||8||160||38||34||5||8||1||18||3||42||7||.280
|-
|1979||rowspan="17" style="vertical-align: middle;"|[[阪神タイガース|阪神]]
|125||'''517'''||55||142||15||3||13||202||51||20||14||4||2||36||0||84||9||.275
|-
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==背番号==
*'''2'''([[1973年]] [[西武ライオンズ|太平洋クラブライオンズ]])
*'''42'''([[1974年]]~[[1978年]] 太平洋クラブライオンズ-クラウンライターライオンズ
*'''7'''([[1979年]]~[[1995年]] [[阪神タイガース]])
*'''75'''([[2000年]]~[[2004年]] [[大阪近鉄バファローズ]])
 
==過去の出演番組==