「リボー」の版間の差分

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2歳時は、イタリアのグランクリテリウムを含む3戦全勝でイタリアの2歳チャンピオンとなった。レースぶりはスタートから先行集団につけ、直線に入ってから後続を突き放すというスタイルであり、イタリアのグランクリテリウムで[[騎手]]が抑える競馬を試したところリボーはやる気を無くしアタマ差勝ちと生涯唯一の苦戦を経験している。
 
=== 3歳時 ===
クラシック登録がないリボー陣営は目標を故テシオの悲願だったフランスの凱旋門賞に定め、プレップレースのベサナ賞では後のイタリアの[[セントレジャーステークス]]優勝馬デレイン(Derain)に10馬身差をつけて完勝しフランスに遠征した。凱旋門賞では2番手を追走。最終コーナーで先頭にたつとリボーはそのまま後続を引き離し、ゴールではボウプリンス(Beau Prince)に3馬身差をつけて余裕の勝利を決めた。しかもこの僅か2週間後にイタリアの大レース[[ジョッキークラブ大賞 (イタリア)|ジョッキークラブ大賞]]で前年の勝ち馬ノルマンを相手に15馬身差で勝利している。
 
=== 4歳時 ===
4歳になってもリボーは圧勝を重ねた。初戦のグィリオヴェニノ賞を4馬身、2戦目のヴィチュオーネ賞を12馬身、3戦目のガルバニャーテ賞を8馬身、イタリア最大のレース[[ミラノ大賞典]]を8馬身と圧勝するが、イギリスでリボーの評価が低かった為、リボー陣営はイギリス遠征を決断し[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス|キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]へ出走、これを当時のレース最高着馬身差の5馬身の快勝をするとイギリスでの評価を覆した。この後、2度目の凱旋門賞を迎える。各国のクラシックホース7頭(他にワシントンDCインターナショナル勝ち馬マスターボーイング、翌年の凱旋門賞馬オロソ等もいた)、初めてアメリカからの遠征馬([[ワシントンDCインターナショナル]]勝ち馬フィッシャーマン、[[ベルモントステークス]]2着馬キャリアボーイの2頭)を迎えた高レベルな凱旋門賞となったが、デビュー以来の15連勝を重ねたリボーは1.6倍の圧倒的1番人気に押されていた。レースは前年の再現で、3番手を追走し、直線で先頭に立つと独走態勢、6馬身差で圧勝した(史上最大着差、しかも写真等から実際には8~10馬身あったといわれている)。リボー16戦全勝のキャリアは20世紀欧州の連勝記録で、合計着差は100馬身に迫るものだった。
 
=== 戦績 ===
{| border="0" cellspacing="0" cellpadding="2"
|-
70 ⟶ 77行目:
||アタマ
||(ガイル)
|}
 
=== 3歳時 ===
クラシック登録がないリボー陣営は目標を故テシオの悲願だったフランスの凱旋門賞に定め、プレップレースのベサナ賞では後のイタリアの[[セントレジャーステークス]]優勝馬デレイン(Derain)に10馬身差をつけて完勝しフランスに遠征した。凱旋門賞では2番手を追走。最終コーナーで先頭にたつとリボーはそのまま後続を引き離し、ゴールではボウプリンス(Beau Prince)に3馬身差をつけて余裕の勝利を決めた。しかもこの僅か2週間後にイタリアの大レース[[ジョッキークラブ大賞 (イタリア)|ジョッキークラブ大賞]]で前年の勝ち馬ノルマンを相手に15馬身差で勝利している。
{| border="0" cellspacing="0" cellpadding="2"
|-
|align="center"| 年月日
|align="center"| レース名
|align="center"| 着順
|align="center"| 騎手
|align="center"| 距離
|align="center"| タイム
|align="center"| 着差
|align="center"|1着馬(2着馬)
|-
|align="right"|1955年3月6日
138 ⟶ 131行目:
||15馬身
||(ノルマン)
|}
 
=== 4歳時 ===
4歳になってもリボーは圧勝を重ねた。初戦のグィリオヴェニノ賞を4馬身、2戦目のヴィチュオーネ賞を12馬身、3戦目のガルバニャーテ賞を8馬身、イタリア最大のレース[[ミラノ大賞典]]を8馬身と圧勝するが、イギリスでリボーの評価が低かった為、リボー陣営はイギリス遠征を決断し[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス|キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]へ出走、これを当時のレース最高着馬身差の5馬身の快勝をするとイギリスでの評価を覆した。この後、2度目の凱旋門賞を迎える。各国のクラシックホース7頭(他にワシントンDCインターナショナル勝ち馬マスターボーイング、翌年の凱旋門賞馬オロソ等もいた)、初めてアメリカからの遠征馬([[ワシントンDCインターナショナル]]勝ち馬フィッシャーマン、[[ベルモントステークス]]2着馬キャリアボーイの2頭)を迎えた高レベルな凱旋門賞となったが、デビュー以来の15連勝を重ねたリボーは1.6倍の圧倒的1番人気に押されていた。レースは前年の再現で、3番手を追走し、直線で先頭に立つと独走態勢、6馬身差で圧勝した(史上最大着差、しかも写真等から実際には8~10馬身あったといわれている)。リボー16戦全勝のキャリアは20世紀欧州の連勝記録で、合計着差は100馬身に迫るものだった。
 
{| border="0" cellspacing="0" cellpadding="2"
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|align="center"| 年月日
|align="center"| レース名
|align="center"| 着順
|align="center"| 騎手
|align="center"| 距離
|align="center"| タイム
|align="center"| 着差
|align="center"|1着馬(2着馬)
|-
|align="right"|1956年5月12日