「藤原真楯」の版間の差分

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[[聖武天皇]]に才能を認められ寵愛を得るものの、同時代の有力者は[[藤原仲麻呂|仲麻呂]](恵美押勝)で、最も栄えていたのは[[藤原南家|南家]]であった。また、当時の北家の嫡流は[[大臣]]にまで昇っていた兄の[[藤原永手|永手]]であり、氏族間の均衡が望まれて親子・兄弟で要職を占めることに批判がなお強かった奈良時代後期において[[大納言]]まで昇った事はその才覚による部分が大きいと言える。そして後年[[藤原氏]]で最も繁栄する[[藤原道長]]・[[藤原頼通|頼通]]親子などを輩出したのは、彼を祖とする北家真楯流である。
 
『[[万葉集|萬葉集]]』に[[短歌]]7首、[[旋頭歌]]1首の計8首収録。同書の補注などから[[大伴家持]]とは個人的親交があったと推測されている。
 
==系譜==
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*[[藤原氏の人物一覧]]
 
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[[category:藤原氏|またて]]
[[category:奈良時代の人物|ふしわらのまたて]]
[[Category:715年生|ふしわらのまたて万葉歌人]]
[[Category:766715没|ふしわらのまたて]]
[[Category:766年没]]